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教育理念
デジタル学校案内

沿革・構成

創立趣意書

いま、日本の学校がおちこんでしまっているこのような荒涼たる退廃には、いくつかの要因が重なりあってはいます。しかし、最も根本の要因は、中学校あるいは高等学校までに身につけるべき一定量、一定範囲の知識・技術を外在的に固定化し、教師は授業でそれを伝達し、テストの点数や偏差値などの一元的な価値基準で、生徒を優劣に序列化し選別していく、そういう能力主義の教育に、いまの学校が完全に制圧されてしまっていることにあります。経済の高度成長に伴う生活様式の変化が、親を、教師を、生徒を、こうした単色の価値観のとりこにしていったという事情も、これと深くかかわっていることはたしかです。

そうした能力主義・管理主義の教育体制の檻の中で、若者たちのしなやかな感性、想像や創造の力、そして興味や個性がおし潰され、閉塞情況に追いこまれ、学校は活性を失っているのです。

しかし、ここで考えなければ、ならないことがあります。それは、若者たちの想像や創造の力を衰弱させ、夢をうちこわし、志を失わせて、とめどない荒廃に拍車をかけている画一的で外発的な強制の教育は、たんに国家や行政が一方的に押しつけたものとはいいきれないことです。そうした能力主義・管理主義の教育を推進した中に、私たち教師自身、そしてそれを求める親自身もいたのです。

私たち大人の精神構造の中に、しっかりと根をおろしてしまっている「点数信仰」「成績万能」の思想(妄想)は歴史的なものです。それは明治以来、一度もその破綻が顕在化することなく、私たち日本人の精神構造の中に深くもぐり、しっかりと根をおろして強いものになってきています。そうした内なる能力主義の教育思想が、生徒を「物化」し、操作対象にすりかえることで成り立つ画一的な人間疎外の教育をおしすすめる役割を果してきたのです。