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2019/6/9 高校説明会
デジタル学校案内
沿革・構成

創立趣意書

いま、混迷を極めている日本の教育情況の中で、私たちがあえて人間の自立と自由への教育を追求する新しい学園を創設しようとするのは、人間性の本質に深く根ざした人間の教育をひらく典型的な学校を、この地上に現出させることを強く決意したからです。

かけがえのない個の人間として、それぞれ異質で、多様な可能性を潜ませていながら、いまの画一的な教育の中で萎えてしまっている若者たちの秀れた資質をひきだし、想像力を解放し、心の自由を育てる、そうした教育をつくりだすことを決意したからです。

学校教育の荒廃が叫ばれてから久しいのですが、日本の学校をおそっている狂気の現象は、いっこうに改善される徴候をみせていません。授業にならない教室、集団の病理ともいうべき“いじめ”の問題、増加している登校拒否、頻発する校内暴力やいわゆる非行、そして、いたましい子どもの自殺など、いちいち例証をあげるまでもなく、いまや学校には教育の名に値する教育がなくなっているといっても過言ではないくらいです。

しかも、こうしたできごとは、いわば、氷山の一角ともいうべきものです。重要なのは、その水面下で学校教育の破局的状況が進行し、若者たちや親や教師の不幸が深くなっていることです。

テストの点取りや偏差値アップのために、規格化されたできあいの知識を伝達し、堆積させ、それをすばやくまちがいなく再生するテープレコーダーのような能力の養成をめざす教育は、授業を底の浅い質の低いものにし、生徒を受け身にし、自由な思索や実験精神や想像力を枯渇させています。生徒がさまざまな出会いを体験し、自らの内なる現実とかかわったしかたで知識や技術を深く学ぶこと、高い表現をつくりだすこと、そして、新しい視野を開く楽しさ、自分を発見することの喜び、などを感じとることを不可能にしています。

そればかりではありません。こうした外発と強制を手段とする画一的な教育の体制を破綻させないために、学校は生徒の生活のいちいちを校則によって規制し、管理を強化するという方法をとらざるをえなくなってきています。恐ろしく思うのは、このような対応がいまの事態を改善するうえで効果のないことをみると、こんどは、力の対決という構図になってきていることです。

すでに、学校ファシズムという言葉はすっかり定着してしまい、多くの学校に全体主義的な傾向を強める風景があらわれてきています。そして、規則ずくめのまるごとの生活規制がつくる閉塞感、抑圧感が、学校や教師への不信憎悪を増大させているのです。