morinoat_41
4/16

服部 大介さん〈6期生〉1975年埼玉県生まれ。自由の森学園高等学校卒業後、IT系のベンチャー企業を数社渡り歩き、「iモード」のコンテンツ開発、eラーニングコンテンツの開発などに携わったのち、36歳で株式会社イソダメタルに入社。その後、父親の後を継いで代表取締役社長に就任。老舗の軸受メーカーが、これからの時代の中でどの様な視点を持つべきか、次なる姿を模索し続けている。4 その時に、思い出したのがイソダメタルです。当時、長らく正月しか会っていなかった両親からも、もはや何も言われなくなっていたけれど、「俺には関係ない」では済まないこととして捉え直した。一人っ子だし、これは引き受けるべきかと思い始めたんです。 とはいえ、金属の製造のことなんてまったく分からない。こんな何も知らないポンコツがいきなり一番上になったら、なかなかヤバい会社になってしまうなという思いから、「帰るなら父親が社長業をしているうちに学ぶべき」と36歳のとき、長い反抗期を終えて入社することにしました。 スタートは、工場の現場から。終日溶けた鉄を扱う工場は、真夏でも外に出ると涼しいと感じるほどの過酷な現場。「ひょっとして、とんでもないところに来てしまったのでは……」と、休憩時間にトイレでのびていたりもしていました。 頼りない未経験の人間がいきなり飛び込んで来た訳ですが、それは一方で、社内のみんなとは違う視点で会社を見られることにつながっていました。 というのも、「この会社でしか作れない部品を作っている」とはいうが、それは本当にずっと広く求められる価値あるものであり続けるの? ということ。なんでみんな、この需要がずっと続くと思ってんだろうと。「今年は受注少なかったね」ってケロッと話しているのも、外から来た私にしてみれば、超心配だったんです。 今でこそ、新しい分野に取り組む気概みたいなものが社内に芽生えてきましたが、当時は「他のことはやらないよ」という空気が蔓延していました。 世界経済の動き、世界の海運事情なんて、ちょっとしたことで大きく変わってしまう。幸いうちは大きな損害にはならなかったけど、新型コロナウイルスの世界的な蔓延やウクライナ侵略の問題も、誰も予想できなかった。そういう変化の中で、急に需要がなくなってしまうことだってあるでしょう。 こういった「自分がどう思うか、から始める」ということは、自由の森学園で過ごした時間の中で培われてきたことだと思っています。自分が出会ったものに対して、どう思うのか、どうしたいのかを固めてから「こうしていこう」が始まる。 どう思うか構わずに「とりあえず何かやる」というのは、私の中にはないんですよ。でも世の中には、意外とそこをすっ飛ばしちゃう人が多い。そこって何をするにしても大事なことなんじゃないかと思いますけどね。 「社長」っていうとすごい人間だと思われがちだけれども、私は本気でポンコツですよ。「これはこうでしょ!」って強めに社員に言っていたことが、後々考えると、「間違ったこと言ってたな」と思うことは数知れず。「明日謝ろう……」と、つぶやきながら眠る夜は、数知れずです。 社長っていう役割だから、会社の大きな判断はするけれど、たとえ自分がいなくたってしっかり回る会社にしていきたいんです。 力のある社員のみんなを、束ねることを大切にしたい。社員みんなの「自分はこう考える」から始まるもので出来ている会社になっていったらいいなと思っているんですよね。自分がどう思うのか、どうしたいのかを固めてから「こうしていこう」が始まる。価値を問い続ける「社長」は役割

元のページ  ../index.html#4

このブックを見る