morinoat_40
12/16

教員自身の興味を出発点に生徒と授業をつくる重要性協同的・探究的な学びを目指す、奥武蔵創造学園 飯能市立奥武蔵小学校の教員。前任校の卒業生が自由の森学園に複数名在籍。12だった」っていう先生をお願いしたことがあって。できない子に教員が良かれと思って働きかける、その暴力性みたいなことを指摘してくれるなど、すごく勉強になりました。だから自分たちにとってのアウトサイダーが集まる場ってありがたいし、研究会は「わかってくれる」同質の人間だけで固めないほうがいいと実感しますね。 小鴨:それから公立校だと、学習指導要領や教科書に沿って授業を組み立てることが圧倒的に多いのですが、教員自身のやりたいことや興味を出発点に、生徒と授業をつくる重要性にも気づきました。片岡:学習指導要領に書いてある言葉をちりばめてある、誰が書いても同じような学習指導案に出会うことがあります。自由の森の日本語科の取り組みを見ましたが、一人ひとりの教員が自分の作品解釈をきちっと出したうえで生徒の読みを引き出そうとしているように感じました。元自由の森の教員で、山梨大学の齋藤知也さんは、「教員に自分なりの解釈がなかったら、生徒たちの個別の読みなんて着目もしないし、異なる解釈が合わさったり対立したりといった学びの偶発性も起きないじゃないか」とおっしゃっていました。ところが今、国がやっているのはAI で最適化して教員の個性なんて出さないほうがいい、むしろ全国どこでも同じ授業が受けられるのがいいという発想でしょう。淺川:コロナ禍のもと「GIGA スクール構想」(※1)が一気に進みましたね。決まった知識のパッケージがあって、子どものレベルに応じてAIが効率的に提示してくれるとか耳あたり良いのですが、モニターとキーボードに向かってみんなバラバラに学ぶことが加速するのはとても心配です。片岡:ある小学校で、6年生の子が「タブレットを使うようになったら授業がヒマだ」って言ったんですって。どういうことか聞いたら「前は○○ちゃんはなんでああいう図形にしたんだろうとか、なんでそんな答えになるんだろうって、いろいろ考えていたから算数の授業も忙しかった。けど今は解答したら機械が答えあわせして、さあ次にいきましょうってなるから」って。ああでもないこうでもないっていう雑多な議論の中からなにか生まれるのが教育の醍醐味だと思うんだけれども、AIにしてみればそういうのはムダってことですよね。DX の中で徹底してムダを省き要領よくこなしていく人たちが Society 5.0の社会を支える、みたいなね。もっとも、タブレットを使わなくても教員の方が自分が求めている発言だけを拾うという事例もあるから、とっくに同じことが起きているのかなという危惧はありますが。淺川:一方で同じ文科省が「主体的・ 対話的で深い学び」を求める学習指導要領を出してきて、「学びの共同体」(※ 2)があらためて注目されていますよね。東大附属では2005年から、たがいの顔が見えるコの字の机配置やグ小鴨 文さんOgamo Aya子どもの議論はムダ?AIによる個別最適化学びあいでこそ起こる「3行革命」

元のページ  ../index.html#12

このブックを見る