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7菅菅> 私は、理科教員のコウモリの骨格を調べる入試授業を見て、「こういう授業をする人たちがいる学校なら行ってみたい」と思ったのが最初でした。教員自身が興味のあることをしているから、通りいっぺんの授業とはまったく質の違うものだと感じました。当時は創立直後の勢いみたいなのもありましたし、バブルの残り香もまだまだ残っているような時代で、自由の森さえもそういう時代のエネルギーの中で突っ走っているようなところがありましたね。最近、その頃と比べて「元気がなくなった」と言われることがありますが、時代が違えば、子ども達の見え方が違うのは当然だと思っています。でも、私は生徒たち自身の持っている元気さやエネルギーは変わっていないと感じていますよ。当時に比べると社会状況も違いますし、個々の家庭状況も違う。昔は、管理教育だったり社会に対抗するような方向に行ったりしていた反発するエネルギーが、今の生徒たちは自分の置かれた状況でどう生きていくか、ということに向けられているのではないでしょうか。菅> 私は女子高・女子大と進んで、新任で自由の森学園に来たので、戸惑うことが多かったですね。そもそも男子生徒という存在が未知でしたから。さらに、大学で学んできた一般的な「体育の授業」ともまったく違った。分からないことだらけだけど、とにかく動こう! という感じでした。当時の学校の中は、いつも生徒の誰かが熱く語り、誰かが泣きながら怒っているという感じ。私自身は、中高時代比較的おとなしい生徒だったので、今思うと、その頃は活発に関わり合う空間の中で、改めて高校生活をやり直していたという気分でしたね。ちなみに大学時代、じつは「この学校に応募しようと思う」と担当の先生に相談したら、反対されました。「まだ難しいところがある学校だから、飛び込むには相当な覚悟が要るよ」って。なので、相当な覚悟で来ましたけど。昔から「○○ができない=ダメ」という考え方はなかったけど、変わってきたこともありますよ。すがま まさみち菅間 正道 さん高等学校校長。1992年自由の森学園中学校高等学校社会科入職。2021年より現職。すが か ほ菅 香保 さん中学校校長。1990年自由の森学園中学校高等学校体育科入職。2022年より現職。1985年に学園が創立され、それほど間がない頃に学園にやってきた2人。まずは当時の状況を振り返ってもらいました。菅間> 僕の場合は社会科の教員になりたかったので、何でも経験だと思ってこの学校に来たというのが正直なところです。ですから、自由の森の詳細はよく知らなかった。ただ、建学の理念には普遍的なものがあると思いました。テストの点数で序列をつけるのではなく、人間を人間として見るというか。当時は管理主義教育が主流でしたから、そういう教育の在り方は問題提起としても大切なことだなと。でも、理想は立派なのですが、まだ具体的な教育方法に落とし込むことができていなかったと感じました。高い山に登ろうとしているんだけど、パーティーを組んでいるわけではなく、個々の教員がそれぞれに登っているような。開学から30数年。時代の移り変わりの中で2人が見つめてきた学園の姿

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