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1957年北海道生まれ。都留文科大学教養学部学校教育学科教授。主な研究領域は、教育学、教育実践学、教師教育論。教育科学研究会副委員長、地域民主教育全国交流研究会、「現代と教育」編集長など、活動の場は多岐に渡り、全国の教師と積極的に交流を図り続けている。著書に『フィンランドに学ぶべきは「学力」なのか!』など。ホームに行かせてもらった時、おばあちゃんから「あなたは先生に向いているんじゃない?」と声をかけられて、ちょっと意識してます。そのために具体的に何かしている訳ではありませんが、そんなこともキッカケになるんだなぁと。織田(高3):私はちょっと具体的になってきていて、「音楽療法士」の仕事に興味を持っています。資格試験もあるので、専門学校か大学に進学することを考えています。見学にも行き始めているのですが、まだ受験先は決めていません。斎藤(卒業生):今、立教大学の文学部で、4年生になりました。自由の森在校時は、高2後半まで「大学? まぁ行きたいかなぁ」と思っている生徒でした。高3になってから、文学を学びたいと思ったのが、今の学部を選んだきっかけです。大学の文学部って「英文」、「仏文」と言語によって分かれている学校が多くて、それはちょっとな、と思っていたところで、言語に縛られていない文学部が立教にあった。それが決め手でしたね。でも、学んだ先の職業が見えているわけではなくて、今は教職課程もとっていますが、それも教員になりたいというよりは教育について学びたいとか、教員免許があると別の職業にもつながるかなと考えている程度です。佐藤教授:私が勤める都留文科大学では、自由の森学園から来る学生を多く見てきましたが、皆どこかユニークで、教員に対しても積極的に関わっていくという印象がありますね。やりたいことを見つけようという意欲を感じることが多いです。ここまでのお話を聞いていて感じたのは、皆さんは将来の職業について考えていますが、そういう高校生は今の日本では少数派だということです。大多数の高校では、そこは自分で考えなくても、偏差値や学歴によってなれる職業が決められていくという仕組みになっていますから。斎藤(卒業生):教員に対する学生の関わり方のお話がありましたが、それは大学でちょっと感じています。私は、聞きたいことをどんどん尋ねてしまう方ですが、同じようなことをしている学生は少ないかもしれません。自由の森では当たり前だったし、大学の教員も同様に、いろいろなことを教えてくれるのに、もったいないなぁって。佐野(高2):自由の森の授業が大学と似ているという話はよく聞きますね。新井(教員):私もこの学校の卒業生で、今は教員をやっていますが、この成績、学歴だからこの仕事に就こうと考えたことはありませんし、そんなことを言う教員もいない。さまざまな職業に就いている同級生たちからも、そういう風に考えて進路を選んだという話は聞きません。織田(高3):私は音楽療法士に関連する学校しか見学したことはありませんが、大学は大きな枠があって、その中からある職種や分野について学んでいくという印象があります。もう一方の専門学校は、特定の職種について必要な知識をしっかり身につけるという印象ですね。それぞれに良いところがあると思いますが、自由の森はたしかに大学に近いイメージ。自由の森で広く学んで、大学で分野を絞って学んでいくことができるとしたら、自然かもしれない。佐藤教授:私が学生だった頃、高校が進学校だったので大学に行くのはいわば当たり前でした。学力は点数や数値で測れるもので、それは高いほうがいいと思っていたのですが、大学に入ってそれは違うんだということを思い知らされました。新井(教員):あ、違うんですか。それがすべてではないでしょうけど、高い分にはいいのかと。佐藤教授:ええ。それまでは、勉強は競争してやるものだと思っていましたが、ゼミが始まると皆で協力しないと勉強にならないんです。議論をする楽しさも知りましたし、それまで自分が常識だと思っていたことが意外とそうでもないということを知り、新しい自分をつくっていく場所にもなった。そういう意味では、自由の森の授業とは似たところがありそうだと感じています。自分のやりたいことを追求する自由があって、やろうとすればそれに応えてくれる教員のような資源もありますから。佐藤教授:そのうえで、大学の「いいぞ」というお話をすると、「圧倒的に時間がある」ということです。発達心理学者のエリクソンという8佐藤 隆 さん自分が常識だと思っていたことは、意外とそうでもない。新しい自分を作っていく場所にもなる「大学」自分の興味やなりたいものから進路を考える、は普通?「大学みたい」と言われる理由大切にしたい「モラトリアム」という時期

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