morinoat_37
13/16

中学校のESD総合、「森の時間」でとり組んだ田んぼづくり。稲刈りを終えた秋に収穫祭を行い、みんなでお餅をついて食べます。たくさんの考え方に触れる時間を経て、「自分の選択」をつくれる場所に 生徒として、自由の森に在校していた頃の話をしましょう。「友人とダベっているのが一番楽しかった」というのが真っ先に思い出すことですが、中学に入学してすぐに感じたのは、「学年に垣根がない場所なんだな」ってこと。上級生がクラスに来て「遊ぼうよ」って誘ってくれることが普通にある場所でした。 同じように、「演劇やるからちょっと照明やらない?」とか、行事で「あそこが人足りないから手伝ってよ」とか。助け合うというか、立っているとなんか手伝うことになるというか。関わり合いが学校のアチコチにある感じは、今も変わりません。 都留文化大学では、フィールドワークの毎日でした。「いきもの」を学ぼうと思って入学したのですが、「動物のことだけを知ろうとしてもダメだ」が口グセの教授に紹介されたのは、なんと地域のおじいさん達。最初はびっくりしましたけど、人の営みを含めた自然の在り方を見つめてほしい、ということだったようで。 おじいさん達によく聞いていたのは、季節によって取れる作物に人の方が合わせて生活していた時代のこと。そんな話にずっと触れていたので、「自分で追体験しておきたいな」と1年休学して、畑を耕している時期もありました。この体験は、まさに今につながりますね。 その後、いくつかの福祉施設での勤務を経て、3年前に自由の森という教育の世界に足を踏み入れました。ずいぶんいろいろな分野を行ったり来たりしているように見えると思いますが、いずれの場でも自分に共通しているなと思うのは、「人の生き方そのもの」を受け取らせてもらっているということです。 都留に住むおじいさん達が育んできた、農業の営みに触れたこと。福祉施設を訪れる皆さんが、叶えたいことを支えること。 自由の森で生徒たちが同じ授業を受けていても、一人ひとり違う捉え方をし、さまざまな意見を投げかけてきてくれること。 それらは、いずれも私だけでは持ち得なかった、豊かな視点を与えてくれる時間です。 生徒たちと、ああでもないこうでもないとしている時、教員という立場ですけど、「楽しいなぁ」って思っているんです。生徒のみんなにも、たくさんの考え方に触れる時間を経て、「自分の選択」をつくってもらえると嬉しい。一度決めて「やっぱり違うな」と変わってもいいし、たいてい変わるものだし。そうやって揺らいでいく中で、少しずつ見えるものがあるのではないでしょうか。 自由の森は、そうやって過ごすことができる学校。だから、教員として戻ってくる前から、ずっと私にとってベースとなる場所でした。中学で、高校で、生徒のみんなにも人の数だけある「人生」と触れ合ってもらいたいと思います。肥沼 健一(総合)1984年東京都生まれ。自由の森学園高等学校卒業後、都留文科大学文学部社会学科に入学。フィールドワークを通して、自然と人の営みの関わり合いを学ぶ。大学3年次に休学し、古民家を借りて農業の実践に取り組む。卒業後は、児童養護施設や高齢者通所介護施設、障がい者支援施設など、福祉施設での勤務を経て、2019年自由の森学園中学校・高等学校に「総合」の教員として入職。以降、選択講座「農業」などを担当。16期生。1313そこかしこの「関わり合い」人の生き方を受け取りたい自分とは違う考え方が自分をつくる

元のページ  ../index.html#13

このブックを見る