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※内容はすべて私個人の意見であり、所属組織・部門見解を代表するものではありません。まついあさとさん〈21期生〉1989年東京都生まれ。自由の森学園高等学校を卒業後、国際基督教大学教養学部に入学(計量社会学 専攻)。在学中、米国カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)に交換留学(国際開発学 専攻)。大学卒業後、通信会社の法人営業を経て、東京都庁へ入庁。本庁で財務関係の業務を担当後、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会へ派遣。国際局に配属され、現在に至る。多くいらっしゃいましたね。VIP でも隔離期間を厳格に守る必要があり、外出制限や定期的な検査の義務もありました。 そんな環境下で、どんな「おもてなし」ができるか——。職員とボランティアで知恵を絞って、手作りの地図を作ったり、パソコンの得意な方が配付資料を作成したり。中には、ある国の王族の方に折り紙を教えた方がいらっしゃったのですが、すっかり折り紙に夢中になって。帰国する頃には、立派な折り鶴を作れる様になり、顔見知りのボランティア一人ひとりに、プレゼントしてくれましたよ。 VIPの皆さんとの交流の他に、組織委員会そのものも、国や自治体などの行政関係に限らず、多彩な業種の方々で構成されたチームでした。普段は出会えない様な方々と会う貴重な時間でしたね。 大会が終了した後の現在も、組織委員会はまだ続いているんです。現在は、競技で使用されたボール、入賞メダル、開会式に使われた衣装など、大会を象徴するものを将来の世代に引き継ぐため、ミュージアム等の関係者との連絡調整に携わっています。 自由の森学園在学中も、毎年、工夫を懲らして生徒が作る入学式や学園祭などで会場係をやっていました。世界的なビッグイベントも、終えてみれば、その延長線上。ある意味、“ 超巨大な学園祭 ” だったと思っています。 テーマを決めて、それに合わせてインフォメーションデスクのレイアウトやデザインを考えたり、運営方法を決めたり。過去の大会で実施したことでも「今回はやらない方がいいんじゃない?」と話し合ったり。「この感じ、懐かしいなあ」と思うこともありました。 在学当時は、ただ目の前の学校行事を楽しんでいただけで、まさかスポーツ音痴の自分が、十数年後にオリンピックの運営に関わるとは。経験が活きるというのはまさにこの事で、「後で振り返った時につながることってあるものだな」と実感しました。 目標を設定して何かにつなげようと思わずとも、目の前のやりたいことに向き合うだけで、予想もしない将来につながることもあるものです。 大学卒業直後は通信会社に入社し、法人営業を担当しました。ただ当時から、環境や福祉、観光、教育などやってみたい分野が尽きず、「できればどの仕事もやってみたい」という思いが強くて。 そこで、大学時代の知り合いの助言で決めた転職先が東京都でした。都の職員は、数年ごとに様々な分野で仕事ができるチャンスがあります。もちろん適性は測られますが、環境や福祉、教育関係はもちろん、島や動物園、港などで働いたり、外国の拠点に常駐するなど、様々な選択肢があります。 地方公務員というと、地味で単調で規律が厳しいというイメージをもつ方もいるかもしれません。でも、実は本人次第で、転職せずとも、いろんな仕事ができる可能性に富んだ職場ですよ。 私も、今の組織委員会に配属されて今年で3年目なので、そろそろ新しい部署に…… とほのかに考えています。55何かを目指して頑張るのがすべてじゃない。振り返った時、意外な過去の経験がつながる瞬間が面白い規模はまったく違えどつながるものがある意外と自由な地方公務員

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