morinoat_35
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ありがとうございました!切迫感もいったんおいて、想いをぶつけあうということですか。西:ぶつけあうというより、聞きあう、ですね。自分の想いを言葉にする、それをみんなで聞くという場にするわけです。命に関わることだと感情的になりやすいけれども、攻撃はしないと約束する。「ここが不満だった」と語るのは OK ですけど。クラスのようなちょっとだけ公共的な場所では「じつは不満なんだ」と話すことと、「馬鹿野郎」と攻撃することは区別しないと。攻撃性が出ると、傷になり気持ちが出せなくなることがあるので。攻撃性を抑えて、不満の中身を「相手に伝わるように」語るのが大切。後藤:今、自分の言葉で語る力が落ちこんでいますよね。ある小学校に立ち寄ったとき、びっくりしたのですが、教室に意見を述べるときのルールが、黒板の横にデカデカと貼ってあるんです。「誰々くんの意見に賛成です。理由は○○だからです」って。学校という場所に限らず、さまざまなところで自分の言葉でしゃべる経験を遠ざけている。なぜでしょうね。西:これは日本の戦後史と関係あると僕は思っています。戦争に負けて、これからはみんなで語りあっていい社会をつくろうって思った。でも、戦後生まれの民10主主義の申し子の団塊の世代が、学生運動のなかで党派に分かれる。一番象徴的なのは連合赤軍で、あの殺しあいを見て、自分たちで話しあいながら社会をつくるという志が挫けてしまった。その後、80 年代に日本が豊かになり、目標としていた欧米の GNP を超えて『ジャパン・アズ・ナンバーワン』(※ 4)みたいな本が出たりする。個人も気ままで楽しい都会生活をかなえました。後藤:「おいしい生活」という、百貨店のキャッチコピーがありましたね(※5)。そんな感じの……。西:まさにそれです。そういう世の中になって、学校のそれまでの在り方も全部崩れます。当時ものすごい勢いで登校拒否や校内暴力が発生しました。あれは後発近代的な「欧米に追いつけ追い越せ」でやってきたのが壊れて、勉学の意味がなくなったからだと考えています。貧しい時代であれば豊かな生活をめざして学歴信仰が成立したけれど、最初から豊かだとなぜ勉強しなきゃいけないんだろう? となる。旧来の秩序が壊れていろんな問題が噴出するなか、多くの学校が管理を強める姿勢で対応します。「みんなが生きやすい社会をどうやってつくるか」という議論にまったく向かわなかったんです。後藤:対話をするとか、民主主義を育てるってことを全然やってこなかったと。※4 ジャパン・アズ・ナンバーワン / ハーバード大学の社会学者、エズラ・ボーゲルの著書。戦後日本の高度経済成長の要因を分析し、高く評価している一冊。1979年に出版され、ベストセラーとなった。※5 おいしい生活 / 西武百貨店が、1982年の年間キャンペーンに採用したキャッチコピー。それまでは否定的に捉えられてきた享楽的な生活を是とする、都会的な生活スタイルの提案は、当時、いち百貨店の広告を超えて、広く認知された。西:そう。で、今はみんなが不満を自分で飲み込んだり、噛み殺しているわけですよね。小学校から高齢者のデイケアまでずっと横並びで、与えられたものに逆らわず、おかしいと思う自分がおかしいっていう。やっぱりそうじゃない、民主的な世界をつくりたいですよね。古賀:授業でも、たとえばフランス革命なら「自由って大事なのかな」「いやいや平等でしょ」みたいなバチバチしたやりとりを起こしたいんです。「調べればわかる内容を授業でやっちゃったな」と思った時は落ち込んじゃいます。「私、自由の森に来て、こんな授業してちゃダメだ」って。学びあっている生徒たちがどう思っているか、対話をもっともっとしていきたい。私たち教員も、一見「面倒くさい」と誰もが思ってしまう時間を丸ごと引き受けて、一緒に荒波に乗り出してみようよって言いたいです。後藤:教員が自分の価値観や想いを語ることはすごく大事。コロナ禍で全国の中学の6割が同じアプリを配信していたと知りました。分かりやすさと効率化を極めたら、ひとりのすごく上手な先生が授業を配信すればいいとなってしまう。教員がひとりの人間としてなにを伝えるのか、伝えていきたいのか、ていねいに考える必要があると思います。古賀:そのプロセスを、生徒たちと一緒につくっていけたらいいですね。攻撃はしないと約束した、「ちょっとだけ公共」という意識の大切さ対話を育まなかった社会の再構築へ

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