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7生徒の印象にも残る教科名の由来 学園が発足した当初は、「国語科」だったという日本語科。当時の教員たちによって教科名について話し合いがもたれ、ほどなくして日本語科に改められたという経緯があるそうです。 「教科の目標のひとつに、『自分のことばで自分を語る』というものがあります。その営みの中で生まれる言葉は、出来合いのものであったり上から与えられたものではないはず、という思いがありました。そこで、明治期に中央集権を進める中で作られた科目“国語”よりも、“日本語”という教科名のほうがふさわしいのではないか? と、今の教科名になったんです」。そう話すのは、「国語科」当時から在籍する丹羽晶子さん。 表現・認識する手段としての日本語とどのように向き合い、そこから何を見つめ、生み出していくか——。「所属する国の言葉だから日本語を話す」のではなく、「一人ひとりと日本語の間にあるものを探る教科」であるというスタンスを、教科名から表明していく選択をしたのです。 今でも中1と高1の最初の授業では、改名当時にまとめられた「宣言文」を生徒たちに配り、教科名の由来について説明しています。「新入生であるがゆえに、多くの場合『よく分からないけど、ここではそういうものなのかな?』という感じで静かに耳を傾けていますが、何年か経つと『あの話はすごく印象に残っている』と振り返る生徒が多いですね」と続けるのは山口大貴さん。国籍など、出自の多様性も増す中で、“母語”と“母国語”の違いなどについても言及する最初の授業は、生徒たちにとっても記憶に残るものになっているようです。宣言文 「日本語科」について 全文 自由の森学園では、いわゆる“国語”という教科を“日本語科”と呼んでいます。 “日本語科”の目標は、「言葉による自己表現の追求」ということです。生徒一人一人が「自分のことばで自分を語る」ことを追求するための教科です。これを考えると“国語科”という呼び名よりも“日本語科”という呼び名の方が適切ではないかと判断しています。“国語”というのは“国の言葉”ということであり、ことばの使い手である一人の人間よりも“国”が優先されている呼び名です。たとえば、第二次世界大戦中、日本の軍部がアジアの諸国に“国語”を使うように強要したことがあります。また、日本が敗れたあと、日本の著名な人々が、日本の“国語”を英語にしようとかフランス語にしようとか考えたこともありました。“国語”という呼び方は、その地域の人々の生活に根ざした言葉を大切にしようとすることよりも、国の都合のために言葉があるという意味がつきまといます。 私たちは、みなさんが日本語を“国の言葉”としてとらえるのではなく、“自分のことば”としてとらえ、日本語の立派な使い手となってほしいと願っています。そして、この日本列島という地域で暮らす人々によって使われてきた日本語という言語を、大切にしていきたいと考えています。現代の日本語はもちろん、古文や漢文についても同じです。 「自分のことばで自分を語る」という教科目標をもつ自由の森学園では、以上のような考えで、教科を“国語科”ではなく“日本語科”と呼んでいます。自由の森学園 日本語科

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