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13大石真紀子 さん小さな村のコロナ事情 役場の仕事は個人情報を扱う部署がほとんどのため、在宅勤務に切り替えることは難しく、私の勤務形態もほとんど変わりませんでした。 残業、土日出勤も激減したので、余った時間で「家から半径500mの生き物を探そう!」と決めて里山を散策すると、これまで見たことのなかった鳥をたくさん発見することに。身近な自然がいかに目に入っていなかったか知りました。 そんなのんびりした生活を楽しむ一方、報道や福祉セクションから聞こえてくる生存のかかった厳しい状況との乖離には戸惑いもありました。「1人目」。その向こう側にあるもの 「村内のコロナ感染“1人目には”なりたくない」。そんな声が、周囲からたくさん聞こえてきました。自分や家族の健康、生活への影響を思うと当然です。しかしここで言う “1人目にはなりたくない”には、違う意味があったように思います。 すでに感染者が発生していた隣の市では、当時「誰がかかったらしい」「どこに立ち寄ったらしい」との情報が瞬く間に広がりました。中にはデマも多くあり、嫌がらせも発生しました。 こういう状況のもとで、多くの人に「かかったら、何を言われるか分からん」との思いが強くあったと思います。そんな心持ちの先に待っているのは「感染を隠す発想」です。それは感染拡大のリスクを高めますし、誰にとっても生きにくい社会ではないでしょうか。そうならないためには、いま行政は何をしたら良いのかと考えています。行政の力・住民の力 人の行動や権利を制限できる「権力としての行政」を強く感じました。今回は人権や自由の抑制と、安全、安心とのバーター(あるものを引き受ける代わりに、別のものを差し出すこと)が問われました。移動制限や休校など様々な制限を行いましたが、村がその意味をどれだけ自覚し、自立的な議論をしたのか疑問です。 その制限が地域の状況や科学的な感染症予防に基づいているのか、そして住民の生活にどう影響するのか。行政職員はもっと情報を共有し議論するべきだったと思います。阿智村は人口約6300人の小さな村ですので、きめ細やかにできるはずです。 またもうひとつの側面として、行政の判断は良くも悪くも住民の考えによって決まります。住民自身がどれだけ住民同士の生活をよく分かっているか、権利に自覚的であるか、科学的な判断をできるかが重要なファクターになります。普段から住民自治がどう機能しているかもこういう時に大きく影響すると思いました。「集まる」から深まる このコロナ禍で感じたのは、普段「人が集まることで思考を進めている」ということでした。人と会う機会が減り、深い話をする機会も減りました。普段に比べ自分自身が深く考え続けることが難しく、こんな事態なのに自分が大して考えていないことに焦りました。 5月後半になり、人と会う機会ができると一気に自分の考えも深まっていきました。人と接すること、共有することが大事なんだなと。そういう関係性が地域の中にあることが、暮らしやすい地域をつくっていくために必要なのだと痛感しました。 今回のことをきっかけに、いま一度、権利や人権について学習したいんです。村のみんなでそれを考える場をつくりたい。そして、それと並行して地域経済についても改めて考えたいのです。 阿智村は農業と観光が主な産業です。農業に関しては、農家が中心となり小さい農家も存続していけるような仕組みをつくりました。かつては観光分野にもそうした動きがありましたが、現在は弱くなっています。コロナ禍は、観光に大きな影響をもたらしました。村の観光産業をどう考えるかみんなで知恵を出し、新たな学習や実践を積んでいけたらと思っています。人は集まり、共有することで思考が進むOishi Makiko15期生阿智村役場協働活動推進課 協働活動係全村博物館構想担当長野※全村博物館構想村の自然や歴史、暮らしや文化をすべて価値あるものとして、みんなで学び、外からの人ともつながりながら、豊かに暮らしていこうとする取り組み。

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