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9「本来、生徒がつくるはずの卒業式を教員がすべてを決めてしまっていないか」 急変の事態に教員の手で収拾をつけるのは、多くの学校では当たり前のことかもしれません。しかし自由の森では、卒業式をはじめとする行事において教員は、本来「何かを聞かれたら答えるくらい」の存在といってもいいくらいの立場。当然、主体として準備を進めていた実行委員会にとっては、ちゃんと介入したいという思いがあるのです。 「縮小した卒業式を、生徒がつくるのか教員がつくるのか曖昧になったまま、時間が過ぎていく。『ひとまず教員で話し合うから待って』と言われ待っていたら、教員が決めごとをつくり始めていた。もともとは生徒がつくっていた卒業式です。状況は理解できるが、できることなら関わらせてほしいという思いを職員会議で伝えました」と柴田さんは話します。 その後、由比さんの指摘や実行委員会の意見も踏まえた上で、高3の学年集会、職員会議が重ねられ、次のように概要が決まりました。  ○ 卒業式は1時間。合唱は1曲   ○ 中止する学習発表会の代わりに、    高3の展示発表を卒業式当日に行う  ○ 在校生は卒業式実行委員のみ出席話し合いを重ね、やがてカタチになっていく今年の卒業 「多くの在校生が出席できないという残念な思いはありましたが、感染症のリスクも理解できるし、意思決定の過程に参加できた。生徒と教員の考えを束ねてひとつの結論をつくれた実感がありました」と話すのは、実行委員の高2生、阿部高秀さん。この話し合いの過程の中で卒業式に興味を持ち、「自分もこの卒業式づくりに関わりたい」と実行委員会に参加する人も増えたといいます。 とはいえ、この決定の翌日、3月3日から5日までは、自粛要請に従い登校することはできません。卒業式前日の3月6日だけで準備をしなければいけませんでした。> 3月6日限られた時間の中準備に奔走した実行委員 「会場づくりだけではなく、リハーサルや照明、音響の合わせまで1日でやらなければならないので、とにかく役割分担は明確にしておかないといけません。実行委員の中心メンバーだけは、その前日に集まって打ち合わせをする許可をもらって、どの係が何をするかをハッキリさせておきました」(実行委員長 柴田さん)。 その甲斐あって、6日の会場づくりはいつも以上にスムーズに進んだようです。限られた時間の中でしたが、卒業生の立つステージの両サイドには2羽のコウノトリが並び、入退場の花道の上にはもう1羽のコウノトリが。卒業生が退場する際に、このコウノトリが飛び立つという仕掛けです。 「限られた時間で、みんなとても集中していましたよ。当初考えていた装飾プランをすべて実現することはできなかったけど、いつもより圧倒的に短時間で作業できました」(企画係長 渡邉さん)。> 3月7日高校卒業式当日 紆余曲折あったものの、高3の皆さんや実行委員の面々は、実に晴れやかでした。朝には高3の最後の学年集会が開かれ、音楽科から改めて合唱は1曲だけになることが伝えられ、その曲を「My Way」にしたいと提案がされました。合唱は10曲以上歌うのが通例で、1曲だけというのは異例中の異例。しかし、異論も出ずにスムーズに受け入れられたのは、話し合いを重ねたことで高3も決定に関われているという実感があったからでしょう。 そしてもうひとつ、勢いに任せて「ゲリラ(で他の歌も歌っちゃう)も、無しにしよう」ということも皆に投げかけられ、穏やかに共有されました。勢いで集い、歌ってしまった音楽室での合唱。賛否はあった。そしてどちらの言い分にも正しさがあり、どちらにも視野の狭さがあった。そのやりとりを経てきた皆だからこそ、この穏やかに方針を共にする時間が育まれたのではないでしょうか。左)各クラスごとに製作される、卒業生をエスコートするパネルも無事完成。右)予定通りとはいかなかったが、会場の壁一面に街並みの様子を描いた。

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