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9塚内:谷川俊太郎さんの詩、「生きる」をセッションさせてもらったことも印象的でした。あの時は6年生に「生きる」になんらかの形で触れてもらいたいと思っていたところでした。そうしたら、自由の森の音楽科の方が編曲して、合唱できる歌にしたものがあるとのこと。学園にお伺いして一緒に歌わせていただいた時間は、とても豊かなひとときでした。最近は、自由の森の生徒の皆さんの絵をお借りして、第二小学校の廊下に児童たちの美術作品と一緒に展示させていただく活動もしていますよ。鬼沢: 高校生の絵を一緒に展示することは、どんな影響があるのですか?塚内:絵や図工の作品の展示って、どうしても決まった子のものになりがちなん塚内:市内の合同運動会の前には、高校生たちに走り方やハードルの跳び方などを教えてもらいました。小学生とはいえ、運動が得意な児童たちの運動能力は結構すごいんですよ。高校生の生徒さんたちがトラックを1周44秒のペースでずっと一緒に走ってくれて、「そのペースでいいよ」とか「最後だけ42秒までペースを上げてみようか」とか、息をあげることなくゆとりをもって声をかけてくれた。うちの教員だけでは、とてもそこまでできませんよ。「物足りなさ」を補う高校生の絵画作品身体を動かしながら感覚を伝える時間です。そこに高校生の描いたものがあると、すごく刺激になるんです。それに小学校の授業はどうしても全科目をまんべんなく身につけることを重視するので、好きなことを追求したい児童にとっては物足りない部分がある。何百人も児童がいる学校なら、そんな中でも突出した子が現れて刺激になるかもしれませんが、うちみたいな小さい学校だとなかなか難しい。そういう部分を補ってくれているように思っています。特に自由の森学園は好きなことを追求している生徒さんが多いですよね。美術が好きな子にとっては「こういう世界もあるんだ」と知ってもらったり、作品を見て「こういう絵を描いてみたい」と憧れを抱くキッカケが、生活の中にあることはとても大切なことなんです。鬼沢: 実は自由の森の体育では速さを競う機会はなく、体の使い方について学ぶことが中心にあります。体がどう動いているか、どうすれば思った動きになるかということを日頃から見つめる授業をしています。もちろん人に伝えるためには、それぞれが自分の中でもう一度整理する必要があるでしょう。特に小学生に教えるのだから、噛み砕いて言葉にしなければいけない。でも、そこで相手に合わせた言葉で伝えた体験は、単純に何かを「教える」という行為だけではなく、高校生達自身もこれまで漠然と感じていた感覚を、違う形で再確認する機会にもなったのではないでしょうか。塚内:あの時の様子を学校だよりに写真を載せて紹介したら、保護者からもたくさん反響がありましたよ。何より高校生たちもとても嬉しそうにしてくれて、帰る時に「来年もぜひ呼んでください」と言ってくれたのがうれしかったです。もちろん、今年もお願いしたいと思っています。

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