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8才能ある選ばれた人がやると思っていた人形劇。まさか私がやるとはロッパなどでは大学に人形劇の学部があって、役者としても才能がある人が、その上に技術を身につけて進学するようなところだったりするので、とても自分にはそんな才能はないなと」 それでも人形をまるで生きているかのように操る技術は、麻美夏さんを惹きつけます。当時はオーディションに受かれば、見習い期間はなく、舞台の上ですべてを身につけていくというスタイル。試行錯誤の連続だったといいますが、やがて大きな舞台にも立てるようになり、海外公演やテレビ番組でも様々な役を演じてきました。 「よく人形劇をやっているというと『ど「自分にとっての民俗」という疑問 高校卒業後は筑波大学に進学し、民俗芸能の研究を大学院まで続けていた麻美夏さんが、プークの入団オーディションを受けたのは27歳のときのこと。 「自由の森学園在学中から民俗芸能の世界が好きだったんです。体育の授業で岩手の民俗芸能である鬼剣舞を踊りますよね。そんなに好きならば本来喜ぶべきところですが“自分は岩手の出身ではないのに、鬼剣舞を踊るのはおかしい”と違和感を持っていました。でも、研究する立場であれば民俗芸能に関わり続けられると思い、民俗芸能研究の分野に進学したんです。それで大学院まで行きましたが、研究はどこまでいっても研究で『自分にとっての“民俗”とはなんだろう?』と考えるようになりました。振り返ると当事者性がほしかったんだと思います。自分の体を使って表現するようなことをなにかしたいーー そう考えているときに、プークのオーディションがあることを知って受けてみようと思ったんです」 実は、プークの創立者の1人である川尻東次さんは麻美夏さんのお祖父さんの兄にあたる。お祖父さんの川尻泰司さんも長年プークの芸術的指導者であり、お父さんもプークに所属していたとのこと。人形劇には子どもの頃から馴染みがあったのだといいます。 「親族がプークにいましたが、自分が人形劇をやるなんて、ずっと考えもしませんでした。人形劇は役者としての能力の上に人形も操る必要があるので、本当に才能のある選ばれた人だけができるものというイメージだったんです。東ヨー

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