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教育理念
デジタル学校案内

すぐ分かることではない「教育の成果」

「問い続けること」を恐れずに

自由の森学園が創立された時代は、「新しい理想の教育をしよう」という教員の思いと「ここで何かしたい」という生徒たちの熱い思いとが学校を成り立たせ、豊かなものを生み出し続けていました。

もう数年前になりますが、当時のように国会前で自由の森の生徒たちが合唱しているのを見て「元気あるなあ」と感心したり感動したりしていますが、その一方で、疲れ切って喘いでいるような今の子どもたちにとっても自由の森の教育というものはとても意味が深くて、私はむしろ、かつてよりもさらにその価値が増しているように思います。

教育の成果というものは、卒業後にすぐ分かることではなくて、その人が長い人生をどう自分らしく生き抜いたか、ということですよね。大事なことは、それを教育に関わる人たちが本当に信じてやることなのでしょう。

そう考えると、授業って、ある1時間が面白いかどうかが大事なのではなくて、続けて聞いているうちに、ふと「けっこう面白いじゃん」と感じることもあるわけですよね。それなのに、開学から数年間の間の学園の中で「つまらなければ聞かなくていい」という風潮が生まれたことについて、正直にいうと「学ぶ機会を子どもたちから奪ってしまったんじゃないか」という思いも多少ありました。

教室

開学から続くその営みをこれからも

自由の森学園に関わっていた開学からの6年間、正直、自分が理想として思い描いていたようなカタチにはならなかった部分もありました。でもそれだからこそ、私にとっては学ぶべきことがたくさんある場所だった様に思います。本当に多くのことを深く考えましたし、「思い通りにならなかったための恵み」を得ることもできたと思っています。

創立当時、自由の森では「試み」という言葉がよく使われていましたが、当時から、実はそれがすでに「営み」でした。

自由の森学園は、その営みをこれまでやり続けてきて、きっとこれからもずっと「教育とは何か」「子どもたちが育つことに対して学校ができることは何か」を問い続けていくのだろうと信じています。

武義和さん
土浦めぐみ教会 音楽主事
自由の森学園 理事

自由の森学園の設立委員会の一員として、本学園開学に携わり、開学後は 6 年間音楽科教員として在籍。その後、山形県小国町の基督教独立学園教員を経て、宿泊型のフリースクール「小国フォルケ・ホイスコーレ」設立。現在は茨城県土浦市にある土浦めぐみ教会に、音楽主事として在籍する。
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