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自由の森学園40周年

本誌の書評をいただきました

自森からの息吹にふくらむ期待

梅原 利夫
和光大学 名誉教授
CiNii Research

1.学園史・誌という作品

「学園〇年史・誌」を編む作業は難しい。その表題をどう表現するか、さらには構成、装丁、登場者選択などなど、苦労は絶えない。

一般には、「建学の理念」を念頭に学園が「いま」直面している課題を意識して、これまでの歩みを取捨選択して描き出し、これからの道をともに探る旅へといざなう羅針盤を作成する共同作業であると言えよう。それがおおむね表現できていれば、意味のある作品となろう。

私は本書を手に取って眺め、パラパラとページを前後させてしばらく鑑賞していた。そうさせる何かがあったからだ。

まず表紙カバー裏表の装丁が印象的だ。大作の壁画を背に生徒の皆さんの語り合う姿が、これからを指し示しているようだ。冒頭の写真集がいい。空中からの全貌の姿を見るのはこれが初めてだ。やはり森に囲まれている自由な館(居場所)なのだ、と合点が行く。様々な場面の姿とそれにマッチした学園生活を表現する文章に魅了される。最後の16ページ、皿に盛られた鶏肉が気にいった。「食堂の唐揚げは走ってでも食べたい」という説明文に思わず笑ってしまい、なぜかほっとしたのだった。

この40年を、「安心と自由、信頼の学校づくり」の道程と表した。私はこの3つのキーワードのなかでも、ひときわ「信頼」の醸成が困難であり、厄介でもあり、しかも重要な課題であると受け止めた。

2.はじめに読んだのは「食」の項

だから数多くの読ませる文章が並ぶなかで真っ先に読んだのは、第2章8「『食』を教育実践の柱として」の箇所である。

学ぶことは生きることと表裏の関係である。だから心身の新陳代謝を伴う。それを促進させるのが食である。学園で学び生きるという人間活動の基盤に食がある、という思想が底流にある。つくる人ー食べる人の相互の姿が見える調理場と食堂、食べ物に添えられたちょっとした一言、食を通じた栄養素の相互交流作用が見える。

「学園の教育の上に成り立つ食が『有機的』であることの意味や意義が食材の質だけでなく、こういった『つながり』にあったのだ」との結論に深く同意する。

3.基調のトーンに見る挑戦と課題の自覚

第1章は、ほとんどの文章を読んだ末に編集責任者として最後の局面で書いたのだろう。基調の文章として引き締まっていて、いかにも菅間さんらしく個性あふれた表現だ。しかも文面の裏には、これまで日常的に降りかかってきたであろう幾多の苦労があってのことだと想像させられる。

この総論は、①3項目の展開、②ちりばめられた造語(独特の表現)や熟語のアクセント、③意味深淵な引用、を特徴として構成されている。全体として未来志向のポジティブな姿勢に貫かれている。

私自身は、ここ数年来に伺ってきた菅間さんの数々の発言から、その内容は受け止めてきたつもりだったが、こうしてピンと糸の張ったようなテーゼ風な総括文に出会い、あらためて「実践的な模索・挑戦の場としての自由の森学園」が再発見されたように思う。なるほど、「3Kから3Rへ」か、「3Rを土壌に3R’sを耕す」か、そして「自己操舵感の育み」かー菅間さんの身体と頭脳で受け止められた教育価値が読み取れた。

4.卒業場面でのHさんの存在に共鳴

勇気を出して声を挙げたHさんの言葉に、思わず拍手を送りたくなった。しかも、こうした表現を受け止められる卒業生の土壌も育っていたことが、なにより嬉しい。

「自分でも目立つ生徒ではない」と自認するHさんが、そんな私でも「こういう場に立つ(立って本音を表現する)べきなのでは」と思ったという。「卒業するにあたり、小さな声を心のうちにしまっておくのではなく、こういった大きな場で発信する大きな声も、私の人生にはたまには必要なんじゃないか」と思ったという。

すごい、思わず絶句した。ここは評者の言葉に直してくくれないほど、引用したご本人のナマの声に圧倒された。間違いなく、Hさんも自森で育てられ、育った一人だった。

5.第2章、実践の中間総括からの提起

もっとも分量の多い章である。実践項目の選定、担当者集団の構成、そして執筆者の決定過程に、まずは多大な労力と議論を費やしたのではないだろうか。自由の森に分け入って行く8つの扉が用意されている。中間総括的な報告から、私が受け取った教師集団の声は、以下の様だ。

(1)英語を学ぶー「じっくり、ゆっくり考え、わからなさをも受容する力や自身の考えを再構築していく経験が、協同学習によって得られる」のではないか。

(2)美術で何をー「生の衝動としての表現教育」(鈴木五郎)をめざし、「生きるということと、絵を描く(物作り)ということが直結していない人に対して、確かに直結したと言える一瞬を作り出したいという、いわば足掻(あが)き」をしている。

(3)スタディツアー「東北と復興」ー「『声』や『小さな物語』に耳を傾けて、出会った人たちや講座の仲間とともに考え、応答していく」作業を。

(4)生活綴方ー3年間同一クラスで「綴ること」「通信にして配布すること」「読み合うこと」「応答すること」。人間の関係性を支えたクラスの起伏のあるドラマ。

(5)多様性プロジェクトー寸劇で同性カップルの登場に「揶揄、嘲笑の笑い」起きる事件がきっかけ。「目の前の生徒の困りごとに徹底して寄り添う」信念だが、「途方に暮れる毎日」である。

(6)進路教育ー「生き方としての進路」貫く。「世界・人・仕事・プロフェッショナルと出会う」ため、生徒立ち上げを含む多様な企画を通して学ぶ。

(7)中学校ESD総合「森の時間」ー飯能地域の農林業体験からデイウォークへ、そして沖縄修学旅行へ。

教育の森へ入り込んでいくこうした多様な扉は、主に働きかけ手の集団が試行錯誤の末に創り出し、それに誘われて主に学び手の集団が自分の意思で開けて拓いていくのだろう。協同の授業や行動は、あたかも生き物のようであり、たえず新鮮な血液と栄養素が送り込まれている。それでも実践は、永遠に「未完のプロジェクト」なのだ。

6.印象に残る応援者の声と顔

企画されたシンポの記録には臨場感がある。発言を求めた会場から一斉に手が挙がったという状況を想像するだけで楽しい。シンポジストの3人の教育学研究者の方々は、私の研究上の友人である。しかも、159ページのステキな笑顔は、普段の研究討議でもめったに見られない描写である。それは、前頁の生徒の皆さんの率直な発言があってこそ、それに応答 し反応した瞬間の絵であろう。

あふれる想いをラップ調で綴った元保護者さんの声にシビレた。また、応援団最後の加藤登紀子さんの、「号泣しそうになった」出会いの場面では、こちらが驚いてしまった。60年以上前の歌が、いま目の前で10代の自森生によって息を吹き返している光景に「心がさわいだ」のだった。文化は時を超えて人間を結びつける。加藤さん、最初で最後の音楽祭に来られて良かったですね。

7.50年史・誌はいかに

40年史・誌は一回限りの作品である。50年史・誌はどうなるのか予測もつかない。

これからの道を、いかに、どう踏み固めて行くのか―その挑戦がもう始まっている。

日本被団協が、オスロでノーベル平和賞を受けた日に。

40th記念書籍