自由の森学園 中学校・高等学校 学校案内 2021
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63 激しく変動するこの社会で、10代が学び育つ学校に求められる役割とはどのようなものでしょう。 言われたことは素直にやるけれども、主体的に課題を発見し、その解決に向かう姿勢に欠ける。「学力」は高いけれども、学習意欲や学ぶ主体的な動機は希薄。国際的な調査から浮かび上がる日本の教育の課題です。 これに対して、教育界ではアクティブラーニングの必要が叫ばれ、取り組まれています。もちろん受動的な学びから主体的な学びへの転換は必要ですが、それは単なる手法ではなく、教育そのものの捉え方、あり方に関わる問題だと思います。る教育をすすめるうえで、広く学校教育に浸透している競争原理は妨げになると考えました。競争心を刺激する教育は、簡単に人間をふるい立たせる力をもっているが、その反面、目標を他人におくために自分自身を見失うという欠陥をもっていると考えたのです。 自分自身の意志や感性とは別のモノサシを押しつけられ、テストのための勉強が学びだと思わされる子どもたちは、学ぶ喜びから遠ざけられ、学びと成長のエネルギーを発揮することができません。これに対して自由の森学園は、競争原理をテコとせずに、本来の学びを、授業をとおして実現しようと考えた新しい学校なのです。 自由の森学園中学校・高等学校は1985年、明星学園小中学校の校長であった遠藤豊らを中心に、点数序列主義に迎合しない新しい教育をめざして設立されました。その理念の支柱となったのが数学者遠山啓の教育論です。彼は、違う個性をもつ一人ひとりの子どもの成長を支え 自由の森学園は、その理念を実現するために3つの教育活動の転換を行いました。その1つが授業とカリキュラムの改革です。意味連関の薄い大量の知識をつめこむ授業から、幹となる本質的なテーマを深く学びとる授業への転換です。一方的な伝達授業を改め、思考、対話、表現を重視することで硬直した学習観を変える授業を構 私たちはよく「人が育つには時間がかかるものだ」というようなことを言います。つまり、子どもたちが育っていくには、それなりの時間をかけなければならないということ。 大人からしてみると、子どもたちの思考や行動にある種の無駄を感じたり、そうしていると失敗するとわかるので、その段階で「うまくやる」やり方を先回りして教えてしまいがちです。 しかし、子どもたちが自分で「うまくやる」やり方を発見したり、失敗の原因を考えたりすることから学ぶことには、大きな意味があると思います。 学校という場は、自分とは考え方の違うさまざまな他者が集まるところ。「他者」に投影される自分自身の姿を感じながら、他者のことだけでなく自身を見つめ直し、「自分をつくる」をしてきます。 ていねいに自分を見つめると、自分を取り囲んでいる「壁」がみつかる。壁の中にいるとそれなりに居心地は悪くないけど、やがてその世界にいつづけることに悩んだり、苦しんだり。でも、壁の外の世界がどんなものなのかはわからないからそれを壊すまでにもいかない。「学ぶ」という行為は、その自分の中にある壁の外の世界を知ることでもあります。そういう意味では、「他者」とは、誰か自分とは違う人のことを指すだけではなく、自分の持っていないもの、知らないもの「すべて」を意味しているのかも知れません。つまり、「学ぶこと」で人は変わっていくのです。新しいことを知ったり、それまでとはまったく違うとらえ方や見え方を獲得しながら、自分自身の価値観をつくってはこわし、つくってはこわす。それをくり返していくのです。 この学校をつくった遠藤豊という人は、1985年の第1回の入学式で、「学ぶ」ということの中身について、こんなふうにしゃべっています。学ぶということは、決してできあいの知識をたくさん貯め込むことではありません。そうではなくて、自分自身を絶えず乗り越えながら、自分自身を絶えず打ち壊しながら、 自分の中に新しい世界を作っていくこと。新しい考えを生みだし、新しい考えをつくり出していくこと、そのことが学ぶということの中身です。「自分をつくる」ということは、「自分の中に絶えず新しい世界を生み出す」ことになります。その意味で、たくさんのことを経験し、学んでいってほしいと思っています。中野 裕中学校 校長Nakano Yutaka 学ぶ喜びに触れ、心の自由を育てる教育を~自由の森学園の設立~理念の実現を目指した3つの実践的転換鬼沢 真之 理事長Onizawa Masayuki

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