季刊もりのあと別冊2022
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14中国の清の時代の実話をもとにした中国舞踊の演目「弓舞」。男性が女性に弓を教える姿を表現する。孔雀の優雅な姿を、軽快な動きで表現する中国舞踊の演目「孔雀」。「自分」が出せる心地よさ踊り好きの輪の中で身体表現を理論でも自分を映す手段はさまざま 小学生の頃は恥ずかしがり屋で、人前に出たり話したりすることがうまくできない子でした。そんな私が自由の森で出会ったのが中国舞踊部です。 初めて踊ってみた日のことは覚えています。友だちに誘われて部活体験に顔を出してみたら、大きなピンクの扇を持たされて、かわいらしい振り付けを教わりました。最初こそ「ええっ、人前で踊るなんて……」 と思ったけど、すぐに夢中に。身体を通して、自分の素の部分が出ている気がして、とても心地よかったんです。 60代になる大ベテランの講師の方は、素晴らしい舞踊手なのにとてもフレンドリーでした。いつもおかしな話をして私たちを笑わせてくれる楽しい方なのに、いざ踊るととてもかっこいい。最近始めた私たちとは、目線の決め方が違う。男性の踊りも女性の踊りもできるし、教え方もうまい。私も自分の踊りを磨こうと、自由の森での6年間、朝や放課後はもちろん、お昼も昼食をそこそこに練習していました。高校では選択講座でも中国舞踊を履修していましたから、もうどっぷりですね。 毎年冬には民族舞踊部、郷土芸能部との合同公演もありました。3部活で50~60人ほどになりますが、みんな違う魅力があって、公演を主催している側だけど、見ていてとても楽しかった。それに、違うことをやっている私たちでひとつのものをつくるというのは、それだけでも楽しいものですね。 もともと声が小さかった私ですが、そういう集まりの中で、だんだんと伝えたいことを伝えられるようになりました。ずっと言葉で何かを伝えることが苦手だったのですが、中国舞踊を通して、伝えることの大切さを知らず知らずのうちに実感していたのかなと思っています。中学3年では副部長になり、高3には部長を務めていました。 言葉を使う場面への苦手意識は減ったものの、下級生に踊りを伝える立場になった時、自分の感覚でしか踊りを説明できないことにもどかしさも感じていました。「今後も踊りに向き合っていきたいけど、もっと理論的に取り組みたい」と考えていたとき、友だちに薦められたのが、いま私のいる立教大学の映像身体学科。講義、演習、ワークショップの3つの柱で実際に身体を動かしながら表現理論を学べる学科です。それがあまりに求めていたことに一致していたので他の大学は目に入らず、立教一本に絞って受験しました。 私が、自由の森のいいところを挙げるとすれば、やっぱりいろいろな表現ができるし、そのための場が多いこと。たくさんの表現活動に力を入れている学校だから、言葉で伝えることが苦手な人でも、無理せず自分ができる表現について考える時間があります。私自身が、入学前まで「言葉だけが自己表現」だと思いこんでいましたが、世界はそれだけじゃないよ、っていろんな授業が教えてくれました。 世の中には、何かに熱心に取り組むことをどこか馬鹿にするような人もいるけれど、自由の森は、その人なりのカタチで、さまざまな表現をすることが日常の中にある。それをお互いに見合って、「あなたはそれが好きなんだね」とか「あそこがいいと思った」とか、認め合うことが自然に毎日の中にあります。こんなに、誰もが自分に制限をかけることなくまっすぐ歩いていける場所って、あまりないんじゃないかな。 自由の森で、自分が気になるものを見つめ続けていたら、それだけでも強くなれる気がします。これからここに入学しようと思う皆さんも、ぜひ自分が「これは!」と思うものを探してみてください。

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