季刊もりのあと別冊2021
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受験をキッカケに「自分」を考えた 人と関わるのが好きなんです。「人の間で働く仕事で、私にできること、したいことはなんだろう?」と考えて出てきたひとつの答えが、「観光」という分野。そこから、今在籍している和歌山大学の観光学部に興味を持ち始めました。 見学に行った時の第一印象は、山あり川ありで「飯能に似ているなあ」という親近感。「静岡のお茶を広めに来たんだ」とリュックからお茶と急須を出すようなユニークな人たちにも出会いました。やっぱり旅は楽しいな、とここで観光を学ぶ気持ちを固めました。 大学に合格できたことはとても嬉しいのですが、受験して一番良かったと思っているのは、自分だけで動ける自分に出会えたこと。振り返ると、それまでの私は、いつも友だちにくっついていたんです。自分で「寄生虫時代」と呼んでいるんですけど、人に依存する自分にどこか苦しんでいましたね。「人と関わる」と「人に依存する」は、似ているけど全然違う。ひとりになる時間が不安で、入学当初は部活やサークルにもいっぱい入ってしまいました(結果として、どれもとても楽しかったのだけど)。 でも、高2で進路を考える時期になると「もう寄生虫とか言っていられないや」と、決意を固めました。大学受験は志望校を決めるのも自分だし、受験対策を最終的に決めるのも自分。オープンキャンパスに参加するために、一人旅にも初挑戦しました。「青春18きっぷ」で鈍行列車を乗り継いで、ゲストハウスに泊まって——。 ようやく少しは自分で動けるようになった感じでした。教員たちの支えが力に 受験に臨むにあたって、推薦がもらえたものの、大学入学共通テストの受験は必須。この時、入試1ヵ月前。急いで入試対策を始めました。予備校には頼らず、独学で分からないところは各科の教員に聞くスタイル。時間さえあれば、英語科や数学科、日本語科の研究室に出入りする毎日でした。 理科も伸び悩んでいたので、研究室にヘルプを求めにいったら、参考書との相性の悪さを指摘してもらい「これがいいと思うよ」と、ベストなワークブックを手渡されました。こういうことの繰り返しをしているだけで、1ヵ月で正答率が96%まで伸びて、自分でも驚きました。 自己推薦書は、日本語科の教員に添削をお願いしました。授業では関わったことがない教員が快諾してくれて、10回以上やりとりしたかな。後から聞きましたが、担任が書いてくれる私の推薦書も、実は日本語科の教員の皆さんが関わってくれていたとか。もう、教員総出で支えてくれていたんです。嬉しい限りですよ。 だから学校に合格通知が届いた日は「よっしゃー!」と大歓声が。みんな私以上に喜んでくれました。「1ヵ月あれば人は変われる」って、なんか予備校みたいですけど、自分のキャッチコピーにしています。もし「もう一度高校生をやり直せますよ」と言われてもやっぱり自分は受験したい。高校生活で一番いい経験だったって胸を張れます。受験だって「やりたいこと」 「自由の森はどういうところ?」って聞かれたら「舞台です」って答えます。誰かが何かを与えてくれるわけではないけれど、自分が変身したいとき、なにかをやりたいとき、つくりたいとき、教員も仲間もみんなが応援してくれる。受験だって「やりたいこと」として尊重してくれる。そして大学受験は、ひとりじゃ何もできなかった自分の卒業試験にもなったなって思います。 「自由の森は受験対策に弱い」。漠然とそう思っている人は多いでしょう。在校生にもいるんじゃないかな。確かに、「いい大学目指して猛勉強」とかそういうのはありません。だってどこが「いい大学」かなんて、人によって違いますからね。 どう生きていきたいか、そのためにどう歩みを進めるか。そう考えた結果として、「こういうことがしたくてこの大学に行きたいの!」と、声をあげたら必ずサポートしてくれます。しかも、手厚すぎるほど手厚く。 「声をあげるなんて私にできるかな……」と思った方、自分のことを寄生虫だと思っていた私にだってできたことです。大丈夫です。ここはそういう学校です。高3の最後に、昇降口前で演奏した、選択講座「サンバ」のステージより。大勢の中にばかりいてしまう自分をどこかコンプレックスにも感じていたというが、とはいえ「人と何かをつくることはやはり楽しい!」。朗読公演「楽屋~流れ去るものはやがてなつかしき~」 より。演劇部には高校3年間在籍。高3では大道具係長を務めた。7

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