季刊もりのあと別冊2021
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そんなの本当の私ではない 当初、「こんな学校入りたくないな」と思っていたんですよ。偏差値のリストでしか進路を見ていなかったんです。でも、体験授業に参加したら、すぐに心が決まってしまいました。特別な決め手があったわけではありません。一人ひとりの問いを大切にした授業はもちろん新鮮でしたが、あるとしたら、学校全体が醸し出す空気そのものでしょうか。 それまで「誰かに言われたから何かをやる」という人間だった私に、大きな刺激を与えられたようでした。自分がどうしたいかなんて考えたこともなかった。でもどこかで、偏差値とか、流行の服とか、みんなと同じ前髪の長さとか、そんなもので自分が周りから評価されちゃってる感じって何だろう? とずっと思っていたんです。そういう息苦しい生活をリセットして、何もないところから自分を見つめてみたくなった——。 それが入試に挑んだ時の想いです。表現とは自分を知ること 私に大きな問いを与えてくれた授業をひとつ挙げるとすると、高2で履修した選択講座「土曜美術」でしょうか。素材も技法も自由。1年かけて「生きる」という大きなテーマでひとつの作品に取り組みます。まさにゼロから私の中の「生きる」を探っていく作業でした。同時期に履修していた「染織」もそうです。ひとつのマフラーを仕上げるために「染める」「紡ぐ」「織る」にイチから取り組む授業です。自分たちで染め上げた20色以上の綿から何色を選ぶか、縦糸と横糸をどのように組み合わせるか、私の「好き」が問われます。「私ってどんなの好きなんだっけ!?」と、糸車を回しながら頭もフル回転させていました。 似た服を着ているわけでも、同じ趣味というわけでもない、私とは違う「好き」を携えて、その日その日を気持ちよく過ごそうとしている仲間の存在も私にとって嬉しいものでした。「自分」というものが実感できるようになると、私をとりまく暮らしのいろいろにも目が向くようになるものです。身近にある草花の匂いや、空の青さや、お弁当に入っている唐揚げや、日々の生活という循環に存在する小さなモノ・コトが愛おしくなりました。生きた痕跡を残せる進路 とはいえ、コロナ禍での休校期間中にふと気づいたんです。「自由の森での生活はそろそろ終わるんだ!」と。高3に進級して、自分の進路と向き合う季節がやってきたんです。 「どうしようかな……」。布や紙、粘土を手にとりながら考えました。結論として、そのときどきの「私」を、これだと思う素材でとじこめ、生きた痕跡を残したい。そんな表現活動ができる環境を探そうと決めました。そこで出会ったのが、今在籍している武蔵野美術大学の空間演出デザイン学科でした。 デッサンなど、美大進学のための準備はまったくしていませんでしたが、美術科の教員に相談したら、アレもした方がいい、コレも必要だ、と、美術科教員総動員でたくさんのアドバイスをもらえることに。美術予備校で講師をしていた教員もいたので、学校にいながら予備校レベルでデッサンを教えてもらえたのも幸運でした。卒業を前にして、手を伸ばせば受け止めてくれる、自由の森の温かさをまたひとつ心に刻むこととなりました。やりたいことが連鎖する この学校には、糸を紡ぎながらでも「私はどうしたい?」と、頭をクルクル回転させる時間がたっぷりある。それこそがこの自由の森学園の一番の魅力か「私はどうしたい?」「私はどうしたい?」求めていたのは自問自答する時間。求めていたのは自問自答する時間。 INTERVIEW /01内田 花音さん Uchida Kanon2020年度卒業。武蔵野美術大学造形学部空間演出デザイン学科1年。偏差値至上主義から一転、高校から自由の森学園に入学。在学中は中国舞踊や声楽、陶芸、オペラ、演劇など、多様な表現に親しむ中で、自分の在り方や身体という感覚について、日々問い続けてきたという。2

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