季刊もりのあと別冊2020
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一歩引いて見守るプロフェッショナル 「好き」を仕事にするのって難しい! 幼稚園教諭を目指していた私は、保育の現場を訪れる体験学習でそう思いました。 なかでもそう痛感したのが、「子どもたちを待つ難しさ」。いくらこちらが子ども好きといっても、園児との距離をこちらの都合だけで詰めようとしたら、人見知りの子は「なにあの人」っておびえてしまう。子どもには子どもなりのペースがあるから、仲良くなるためにも焦らないことが肝心です。 私が訪れた「とねっこ保育園」も待つことを大切にしていました。「子どもから声がかかるまで大人が手伝ってはいけない。なぜなら子どもが自分でできることを奪ってしまうことにもなるから」と。幼くとも子どもは思っている以上に身の回りのあれこれをこなす力を持っているのよ、と先生たちは教えてくれました。 実際にその力を発揮できたとき、子ども自身が「自分はできるんだ!」と気づく成功体験の積み重ねが大事なんです。やってあげない優しさといいますか、一歩引いて見守る大切さを知りました。 実際は2〜3歳児が着替えに苦戦しているのを見ながら助けないって、なかなかしんどいですよ。しかも泥だらけになって遊べる園でしたから、いつもお着替えしている感じです。 トイレットトレーニングしている子どもが失敗しても、もちろん怒りません。保育士さんたちが冷静に子どもを見守る姿に「この人たちすごいな、プロフェッショナルだな」と、あらためて尊敬の気持ちを深めました。自分と向き合うことが、発言を「気分」に左右されない「意見」にする 幼稚園教諭を目指しているのは、幼児教育が人間の根っこになる部分を育て、人として大事なことを子どもたちに伝える場だと思うから。 私が一番子どもたちに伝えたいのは「自分を大切にする」ということ。自分がうれしいことやイヤなことをちゃんと受けとめる。それができたら、ほかの子にも共感できるし、同じことをしたりしなかったりという区別ができるようになると思うんです。私もたくさんの人にかわいがられて育ったから、次の子どもたちに恩返ししたい気持ちがあります。 それに、自分の心が疲れたまま他人に優しくするのは意味がないかなって。私もしんどいときに友だちの悩みを聞いてなにもできずに余計落ちこんじゃったりするので、自分への戒めもこめて、ですね。 自由の森のよさは、そんな自分と向き合う時間がたくさんあるところです。なにかを発表する機会が多かったり、自分の生活や授業での理解について評価表を書いたりと、自分を振り返るタイミングがたくさんあります。おかげで「気分」ではなく「意見」として自分の言葉を表すことができるようになったと思います。交互にやってくる「やりたい気持ち」と「弱気」の中で でも私自身、先のことが不安になってすぐクヨクヨしちゃうんです。なにを始めようとしても、私にできるかな? 私でいいのかな? って。 高校生活最後の学園祭に実行委員長を務めたんですが、立候補の〆切ギリギリまで迷っていました。自由の森の学園祭は誰もが得意なことを発揮できる場。みんながキラキラしています。「楽しめる行事をつくりたいなぁ」と盛り上がる気持ちと「いやいや、私なんかにできないよ」という弱気がせめぎあって足踏みしてしまって。友達は「きよらのやりたいようにしなよ。やってもやらなくても全力で応援するから」、教員も「きよらは最終的には頑張れる人なんだからやってごらん」と背中を押してくれて、ようやく手を挙げることができました。 実行委員長を任せてもらうこともでき、やってみて本当によかったと思います。雨で後夜祭が延期になるというトラブルがあり、悔しい思いもしたけれど「楽しかった」「きよら、よかったよ」と多くの人から声をかけてもらえました。楽しいと思ってもらえる行事をみんなといっしょにつくれた。そう考えたらすごく自信になりました。 とはいえ、短大の授業が始まった今も「私、やっていけるのかな」ってまだウジウジしています。自分でもおかしいけれど、そういう性分なんですよね。「自分」を大切にできる子どもたちの育みを。学園祭には、体験学習でふれあった子ども達がはるばる訪れてくれた。思いがけなかった、嬉しいサプライズ。学園祭の実行委員長を務めた、高校3年時の学園祭より。仲間がステージのバックに似顔絵を描いてくれた。8

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