季刊もりのあと別冊2020
11/16

語学から世界へ ふり返ると、語学と平和学習が私の中学高校生活の中心にあったと感じています。 語学は、カナダで約2週間ホームステイする「Study Abroad」や、英語を公用語に多国籍の人が農業技術を学ぶアジア学院での体験学習など、実践型の学びを活用しました。 中学3年の時、体験学習で初めてアジア学院を訪れ、アジアやアフリカ出身の研修生と慣れない英会話を始めたとき「本当に英語って“言葉”なんだな」と実感したんです。それまでは授業で隣の人とロールプレイングをする程度。知識のひとつでしかなかった英語が、ほかに意思疎通の手段がないという状況を前にしてコミュニケーションに欠かせないツールとして英語と向き合いました。もちろんジェスチャーや絵を描くといった伝え方もありますが、相手との関係が近くなるほど、言葉を使ってもっと深く表現したいという気持ちが湧いてくるもの。 会話を重ねるうちに、日本とは違うものの見方を知り、他の文化に目が向くようにもなりました。たとえば黒人への差別用語を知ることでアフリカやアメリカの歴史、社会が見えてきます。日本では常識と思われていることも海外では通用しないと気づきます。異文化への入り口は英語だけがすべてじゃないとも思い、高2の時には「スペイン語」も履修しました。戦争の時代と現代は地続き 戦争は遠い昔の話、とリアリティを感じない人も多いかもしれない。でも想像力を働かせてみてほしい。2〜3世代さかのぼればみんなが経験していることです。私も広島の平和記念公園の下には今も戦時下の建物や遺骨が埋まっていることを知り、「今とあの時代高2の秋休みにプライベートで友人と訪れた長崎。平和祈念像をはじめさまざまな地を巡りました。「Study Abroad」で訪れたバンクーバーでホームステイ先のホストファミリーと。は、地続きなんだ!」とハッとして、関連書籍を読んだり、さまざまな資料館を訪ねるようになりました。 平和学習への関心を深めたのも中3の時。修学旅行で沖縄を訪れる際、各教科で沖縄をテーマに事前学習をしたことがきっかけでした。 音楽科で琉球音楽を、人間生活科で沖縄料理を、社会科で琉球王国から沖縄戦、現在の基地問題につながる歴史を学んだうえで、現地で本物に出会い、現場に触れる。そういう経験がリアリティのある学びにつながったし、沖縄を通して広島や長崎、世界の核問題にも興味を持つようになりました。 カナダで約2週間ホームステイする選択講座「Study Abroad」には2回行きました。2度目に訪れた高3の時には、原爆について英語でポスターにまとめ、カナダの人たちにプレゼンテーションしました。 私たちを迎えてくれる「キャンベルリバークリスチャンスクール」は、その名の通りキリスト教系の学校。長崎の原爆被害で焼けただれたマリア像や教会、被爆者を弔った十字架のお墓などの写真も併せてみてもらい、キリスト教徒同士が殺し合ったという惨状をいっしょに考えてもらいました。 韓国講座で韓国の高校生と交流したときも感じましたが、他国の人と顔と顔をつきあわせて共通の課題に取り組むことは、代えがたい体験になったと思っています。自由の森は「待ってくれる学校」 自由の森にはテストのかわりに多様な体験をする機会があり、自分の興味を自分のペースで考えることができます。私の場合は、さまざまな場所を直接訪れ、自分の目で見て感じる体験を重ねてきたことが、よかったと思っています。 自分の軸足をどこに置くか、決めるタイミングは人それぞれですが、この学校は一人ひとりの興味が開花するのを待っていてくれます。もし全員が同じ時間軸で勉強を強制されていたら、こんなに英語が好きになっていたかどうか。 あまり関心のない異分野の知識もいきなりシャットアウトするのではなく、複数の物事と関連づけて考える姿勢も身につきました。 これからも「語学」と「平和学習」に取り組んでいきたいと考え、2つのテーマを両立できる広島市立大学国際学部に進学しました。外国語が学べるうえ、全学共通科目に平和学があり、被爆地・広島ならではの勉強ができます。他大学の外国語学部なども選択肢にありましたが、身につけた言語で何を伝えるのか、語る中身を磨こうと思いました。 将来どんな仕事に就いても、平和について考えたり、関わったりしながら生きていきたい。その軸足を大学でも磨いていければと思っています。11

元のページ  ../index.html#11

このブックを見る