季刊もりのあと別冊2019
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食を楽しみながら探求する 現在オーガニック料理の研究家、白崎裕子さんのアシスタントとして働かせていただいています。「食」への興味は自由の森在学中から。寮生だったので、毎食手づくりご飯の食堂でいつも美味しいご飯をいただいていました。私はベジタリアンなのですが、食生活部の皆さんは「もちろん、食に対する価値観も多様でいいんだよ」と理解を示してくれて、いつも私だけのメニューを用意してくれました。 寮生の中には食堂で食べたくないという人や、外でカップ麺を買ってくる人もいましたが、それでも食堂の皆さんはいつも人数分作っていました。まるでお母さんみたいですね。私はお菓子作りが好きなのですが、お菓子を作る時に、食堂に駆け込めば良質な材料を安く譲ってもらえるのも嬉しいところでした。アルバイトからコーラスへ!? 一方で、高3の頃から、「OLD DAYS TAILOR」というバンドにコーラスで参加しています。去年初めてアルバムをリリースしたバンドなのですが、私以外はみんな熟練のプロミュージシャン。今もなんで私がここにいるのか謎なまま、貴重な体験をさせてもらっています。 もとはといえば高校時代、バンドのリーダーでもある笹倉さんがオーナーを務めるカフェ兼スタジオでアルバイトをしていたのですが、そこで、私が焼いたお菓子を扱っていただいたり、カフェイベントに協力していただいたりしていました。そんな折、なにかの機会に歌を披露することがあって、バンドに参加させていただくことになったのです。人生何があるか分からないって本当ですね。寮と私と母 在校時のことを語る時、なんといっても欠かせないのはやはり中高6年間の生活の場だった「寮」のこと。入寮当時は12歳。とくに緊張することもなかったのですが、夜になると街では体験できない、なかなか真っ暗な山合いにある寮ですから、「あれ、ひょっとしてとんでもないところに来てしまったのかも……」と思ったこともありました。 入寮直前に、母親から手紙をもらいました。「これからのちなのことを楽しみにしているよ。いろいろな人に愛され、愛しなさい」と短い文が書いてありました。ちょっとウルッときちゃいますよね。 一方で中学の頃、学びに身が入らない時期があったのですが、その時は「それなりのお金を払っているんだから、それなりのものを返してよね!」と叱られました。「返して」というのは「ちゃんと学びを自分のものにしてね」という意味。ありがたいなと感謝しつつも、母の期待通りに私が生きるかどうかは、また別の話だとか思ったり。今思うと、私も売り言葉に買い言葉で言いあっていた部分もありましたが、母との距離を客観的に見られるようになったのも寮のおかげかもしれません。生徒同士で生活をつくる寮で生きる時間から受け取ったもの 自由の森の寮は、誰もが快適に過ごせる場所を作るために、みんなで決まりごとをつくる自治的な寮です。18年の人生のうち1/3をそんな寮で過ごして、思っていることを伝えるとか、相手の話を聞くとか、人と自分の間にあるものを大切にする、人間として当たり前の生活ができるようになったと思っています。 もちろん「みんないつも仲良し」という訳にはいきません。それでも寝るのもごはんもお風呂もいっしょ。寮生同士浴びるほど話しあいを重ねて、それぞれが大切にしているものをキチンと大事にして毎日を過ごしてきました。 学内外でたくさんの人と関わり合いながら過ごしてきた6年間は、今生きている新しい時間の中につながっているように思います。そんな縁から受けとったものを、少しずつ返したい=自分に反映させたい。今、私が携わっている「食」や「音楽」を通して、そんな生き方ができればと、考えを重ねているところです。当時アルバイト先だったカフェ兼スタジオにて。9

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