季刊もりのあと別冊2017春 一人ひとりの生き方としての進路
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Interview.042015年度卒業。高校では民族舞踊、音楽、数学、生物、絵画などさまざまな方面に関心を寄せて活動。武蔵野美術大学造形学部油絵学科へ進学後、アートと音楽をコラボレートさせた個展を不定期で開催している。  「自分」を考える 自由の森学園の絵画の授業には「目を描く」という課題があります。目というのは不思議なもので、描いていると未知の内面が表れます。絵を描いて自分を知ることが面白くなり、高校3年次には選択講座の「絵画 自分を描く」を受講して、自分自身にフォーカスすることに夢中になりました。 民族舞踊部の部長をやりながら、昼休みや放課後にわずかでも時間があれば美術室にこもって自画像を描きました。当時、私は「私ってそもそもなんだろう?」「私と他人の境界ってなんだろう?」という、答えのない問いに想いを巡らして、その答えを探す作業をしていたように思います。鉛筆だけでB0判の巨大なキャンパスにぎっしり描き込んだり、廊下を歩きながら、ふと子どもの頃に好きな場所だった学童保育の物置を思い出して「あそこに自分がいたかも」と美術室に駆け込んで筆をとったこともあります。民族舞踊や、選択講座で生物を学ぶことなども、ジャンルはバラバラですが「自分」を考える材料として私の中ではつながっていました。  数の連続性に  自分を重ねてしまった 自分と他者の境界に頭を悩ませるようになったのは、数学の授業の影響です。「無限」という概念や「数の連続性」にふれて、1と0の間に無限の宇宙が広がっていることに文学的なロマンを感じる一方、自分もその連続性の一部ではないかと考え、他者との違いに疑問を持ってしまいました。生物学でも、生物という存在は脈々と続く命の連鎖のたまもので単体では存在しえないですし、民族舞踊も時代を超えて身体を通して伝承されるものです。 混沌とした世界に、言葉によって境界線を引くという作業も不自由なものに思えてきて、言葉の枠に捉われない表現についても考えました。なんだかもう太平洋にイカダでこぎ出すようなものですよね。高校時代はずっとそんな感じだったんです。自分の存在を考えるために半ば強迫的に描き続けて、卒業後も描き続けるために武蔵野美術大学の油絵学科へ進みました。 今はあいまいなものも受け入れる態勢ができたというか、もし自分が仮の存在だとしても許せるようになりました。たとえば「祈り」というような、人間の内面的な拠り所となるものをモチーフに制作活動を進めています。絵画作品をモチーフにギターで作曲するようにもなり、絵画と音楽の相互作用を楽しんでいます。高校時代より絵柄はだいぶ明るくなりましたね。今日、昔の自分の絵を久しぶりに見ましたが「あぁこんな感じだったなぁ」って思い出しました。でも、境界線がぼんやりした絵を描くところは今も引きずっているような気がします。  「なにかしたい」  その気持ちさえあればいい 自由の森には中学1年のときに転入しました。地元の中学の「考えないでこなせ」という空気になじめず、立ち止まって考える時間を求めてのことでした。学校見学にきて、おおらかな雰囲気を肌で感じて転入を即決。とくに校長の中野さんが話していた「良い・普通・悪いっていうけど、普通が一番いやだ。だいたい普通ってなんだよなあ」という言葉が決め手でした。 実際に入学すると、考える時間はたっぷりあるものの、絵や部活のほかに行事や校内誌の編集にも携わっていたので身体が2つほしいと思うほど忙しくなりました。興味のおもむくままに活動できるってありがたいですよね。たとえ自分がなにをしたいか分からなくても「なにかしたい」という気持ちさえあれば、「なにか」からたくさんのものに出会える場所なんだと思います。 ジャンル関係なく、アンテナをあちこちにのばす感じは今もそのままですね。大学の課題制作のかたわら車の免許を取ったり、パン屋さんでアルバイトしたり、家でぬか漬けを作ったり。たまに、高円寺や地元のときがわ町で個展も開いていて、ときどき個展会場でギターの演奏もしています。 本当に興味のままにいろいろやってしまうんですけど、自由の森でたくさんの学びが結びついてきたように、いずれそんなさまざまな体験につながりが表れてくるんじゃないかな、と思っているんです。自分という存在の答えを探して、ひたすら絵を描く先日、個展を開いた石居さん。会場では弾き語りライブも開催。分野を超えて表現に取り組むなか、「表現する」ということそのものも模索しつづけている。石居 由望さん Yumi Ishii8

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