季刊もりのあと別冊2017春 一人ひとりの生き方としての進路
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Interview.022015年度卒業。自由の森学園カバディ部の選手として活躍。高校在学中に日本代表メンバーに選抜され、数々の国際試合に参加。現在は大東文化大学スポーツ・健康科学部スポーツ科学科で後進を育成すべく奮闘中。  あえてカバディ部のない  大学へ カバディは鬼ごっこに似ています。攻撃手が息継ぎなしに「カバディ」と唱え続けながら守備側の選手にタッチし、自分の陣地に戻れば得点になります。守備側に捕まると相手チームに点が入ります。狭いコートで身体をぶつけ合う格闘技のような激しさと、攻撃手を捕まえるために連携するチームスポーツとしての楽しさがカバティの魅力でしょうか。 実はもともと、カバディどころかスポーツの経験もありませんでした。姉がカバディ部のマネージャーをしており、中学2年の頃から「体験においでよ」と毎日のように勧誘されて仕方なく参加したのがきっかけです。創部のメンバーも高い志があったわけでもなく、時間が空いた時になんとなくやってみたことが始まりだとか。ネットでルールを調べて、廊下で遊び半分にやっていたら、ちゃんと競技としてやってみたくなって、日本カバディ協会に問い合わせたら事務局長が飛んできてくれたという逸話も。 部活動になってからも、みんな手さぐりです。今でこそ十分に部員がいて充実した練習ができますが、部長と僕、幽霊部員を含めて部員が3名という時期もあったんですよ。それでも、漠然と夢中になれるものを探していた僕は、上達するにつれてじわじわとカバディにはまり、日曜日にも大学生や社会人と練習を重ねました。 進学先に大東文化大学を選んだ理由の一つは、カバディ部が「ない」から。カバディの文化がないところにカバディを広めたい。さまざまなスポーツを経験しているスポーツ系学科の学生ならば、それぞれの強みを十分にいかせると思います。 もう一つはカバディの故郷であるアジアの研究ができるから。そして教員免許も取得できる。今の場所は、僕にとって三拍子揃った環境なんです。 現在、大学での学びと、カバディ部創部の活動、指定強化選手としての練習にアルバイトと、とにかく忙しい毎日です。2018年にはジャカルタでのアジア大会も控えています。  中学で見つかった  自分の居場所 実は自由の森の中学に入るまで、自分の足で立っている実感がなかったんです。同世代の人たちと向き合うことも怖かった。これといった経験もなく、自分の意見を掘り下げる深さも道具もない。他人の目が気になり、考えることにも時間がかかりました。でも、この学校であった仲間や教員たちは100歩も1000歩も譲って人の話を聞いてくれます。「自分ができることをやっていけばいいんだ」と思えるととてもラクになって、少しずつ関わり合いの中に身を置けるようになりました。 やがて、行事づくりにも関わるように。実際に参加してみると仕事の向き不向きを感じることを通して自分が客観的にみえてきます。周りが特別に優れているとか、自分が劣っているとか、そういうことではないとも気づきました。宙に浮いていた自分の足場が、ようやく安定した平面になってきたんです。高校に進学する頃には他人と比較して考えるクセが消えていたように思いますね。  体育は静かで集中できる時間 大学卒業後は体育科教員になりたいと思っています。自由の森の体育でやるマット運動が好きだったんですよ。倒立をする時に「地球に対してまっすぐに」とアドバイスしてくれたことが印象に残っています。そんなこと考えたこともなかったので、とても新鮮でしたね。集中して身体の軸や感覚をつかんでいく体育は、誰かと競争する体育とは違う、豊かな時間でした。 そんな授業をつくってくれていた自由の森の教員たちは、みんなとてもエネルギッシュでした。観察力があり、何かをもてあましている生徒を見のがさず、新たな興味に生徒を結びつけてくれる。僕もそんな目の前の人間に誠実に向き合い、生徒の学校生活を支えられる教師になれればと思っています。昔の自分と同じような、迷いを抱えている子たちの助けになれればいいですね。カバディ※の魅力を伝えるために、ゼロからの創部を目指して現在、カバディ日本代表としても活躍。昨年インドで行われたワールドカップにも出場しました。※【カバディ】南アジアで伝統的に親しまれているスポーツ。インドの国技。オフェンス時に「カバディカバディ……」と連呼するスポーツとして知名度が高い。阿部 哲朗さん Tetsuro Abe4

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