morinoat_31
4/16

その自由は教室にいるすべての人のもの 自由の森には高校から入学しました。受験前に音楽祭を見に行ったのですが、ある高校生達の合唱が衝撃的だったのを覚えています。曲は、卒業生でもある星野源さんの『ばらばら』。そのタイトルにふさわしいというかなんというか、合唱が自由気ままでバラバラだったんです。でも、なぜだか響くものがある。しかも気づいたら、私は泣いてしまっていました。 当時、公立中学で合唱部に所属していた私にとって、まったく価値観の違う合唱に出会ってしまったと思いました。誰もが歌うことを自然に楽しんでいる姿に、「音楽そのものを楽しむってこういうことなんだな」って。 そして入学後、音楽の授業を受けてまたビックリです。なんと教員の伴奏も、同じ曲でも人によってバラバラ。この場所の自由は、生徒だけのものではなかったのです。 教員も含めて、教室にいる誰もが「こうあるべき」というものに縛られない。例えばその日、たまたま声を出したくない生徒がいたとしても、とがめられることはありません。音楽や合唱は「その時の気持ちを表すもの」であっていいし、そういう向き合い方の中にこそ、音楽の役割があるのだということを感じた3年間でした。言葉がいざなう本質 音楽に興じる中では、自分自身を問う場面があったり、曲と向き合ったり、さらには他の誰かと一緒に演奏することで交わりあうこともあります。いろいろな形で表現を深めることは、音楽の楽しさを味わうことでもあるのですが、一方で理解を深めたからこそ、怖さを感じるようにもなりました。 大学で、演奏を聞き合って感想を交換する演習があります。「良かった」「面白かった」という、短いコメントで済ます人たちが多いのですが、なんだか物足りない。感じたことを言葉にして伝えることは大切だと思うんです。 そのスタッカートは、ウサギが飛び跳ねているようなイメージなのか、それとも子ども達が遊んでいるようなイメージなのか。この和音は、色でたとえるとどんな色なのか、風景にたとえるとどんな景色なのか——。  思ったように言葉を結びつけられない時もあるし、すぐに言葉にできない演奏に葛藤することも。それでも、自分自身や表現と向き合い、感じたことを形にしていくことは、今の私が、自分の音楽をつくり出していくために必要な取り組みだと感じています。誰もが歌うことを自然に楽しんでいる姿に、「音楽そのものを楽しむってこういうことなんだな」って4

元のページ  ../index.html#4

このブックを見る