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3 音楽大学の4年生です。この秋、教育実習でひさびさに自由の森を訪れました。新型コロナの影響で通常通りの授業はできませんでしたが、音楽の教員として、生徒たちと関わり合う貴重な時間を過ごしました。どこかにピアノはないか 幼い頃から、長いこと本格的にピアノをやっていて、ずっと音楽の近くで暮らしてきました。でも、その環境が自分にとって決定的に欠かせないものだと知ったのは、高校卒業後まもなく。「音楽しない生活」をせざるを得なかった、語学留学先の韓国でした。 在校中に、選択授業の「韓国講座」で韓国の文化に興味をもって決断した留学。たくさんの刺激を受けて、韓国での日々を学びながら楽しく過ごしてはいたのですが、どうにも落ち着かない——。ピアノを弾きたくなっちゃったんです。「店頭でピアノに触れないかな」と、楽器屋さんを探したほど飢えていました。 高校時代は、ピアノのレッスンに行ってはいたものの、部活で郷土芸能や民族舞踊に取り組んでいる方が楽しかったし、教員に音楽の道を進められても、いまいちしっくりこなかった。でもこのピアノに飢えた生活の中で、他の誰でもなく、自分が、自分だけで「私は弾きたい」と感じてしまった。 私は、ピアノを弾くことを通してその時その時の気持ちを形にしていて、それは必要な日常だったんだなと、改めて気づかされてしまったんです。 当初1年間の予定の留学でしたが、5ヵ月で切り上げて日本へ。もちろん両親には平謝りです。その後、改めて受験に向けた準備を進めて、国立音大に入学することになりました。教育実習での1シーン。通常通りの合唱の授業ができない中、実習生達がそれぞれ専門とする楽器でライブを開催した。Hayakawa Akane音楽や合唱は「その時の気持ちを表すもの」であってもいいもりのあとを歩く28期生早川 亜雅寧 さん49

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