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9  「明日から春休みですか?」と、はしゃぐ児童もいれば、「明日から来られないんですか?」と心配する児童も。一斉休校要請が発表された翌日、児童たちの混乱は顕著でした。私たちも先の事など何も分かりません。首相のひと言がすべてを変えてしまう恐ろしさを感じました。 世の中のオンライン活動が活発になってきた頃、私は「学校という場が知識を得るだけの場所へと変質してしまうのではないか」という不安に駆られていました。オンラインならではのメリットはありますが、言うまでもなく、それは今まで授業を担ってきたものすべてを任せられるものではありません。 授業は教師が問いかけ、児童が考え、気づき、児童同士が交流し、新たな考えや教師の予想を超える意見が生まれ、教師がそれを受け取り、またその考えを全体に還流し再び児童が考え…… という対話をつくり上げていき展開していくもの(と、なるのが理想ですが、必ずしもいつもそうはなりません)。児童たちと私との活発な関係性は、ひとつの教室空間の中の対話でこそ生まれえるものです。 行事もこの先、中止や縮小が相次ぐと思います。宿泊学習だけでもやってあげたいのですが、課題は山積みです。野外の炊事は「NG」。キャンプファイヤーのダンスは触れ合ってしまうので「NG」。風呂や寝室の「密」はどうするか。熱中症疑いは即時帰宅対応とすべきか? など。途方もないリスクマネジメントと、保護者の方の理解が必要になります。しかし大変さは承知したうえで、この状況のもと、児童が充実した時間を過ごせるよう模索しているところです。 今回のコロナ禍で、学校という場の在り方も変わってしまうのかもしれません。もしそうであるならば、私たち教師は、社会に「変えられてしまう」のではなく、変化を選択し、積極的に新たな場をつくる主体とならなければならないと考えています。だ」みたいなことです。 しかし24時間、家族3人ずっと一緒はなかなか大変でした。夫はケロッとしてましたが、私は少しでもひとりの時間が欲しくて、1日1回「少しだけ寝室に籠らせて」とお願いして、ひとりの時間をつくらせてもらいました。でも、息子がドアをどんどん叩いたり、ドアの隙間からどしどしと手紙を入れてきたり。結局あまり落ち着かないことがほとんどでしたね。 「Black Lives Matter」は、移民の街に住んでいるアジア系の私にとっても他人事ではありません。いつでも差別「される」側になりうる、という意識はあるんです。日本では、まるでNY全体が大変なことになったかのように報道されていたようですが、最初の破壊行為もごく一部のエリアで、数日の出来事。今、身の周りでは平和的なデモがよく行われていて、私も先日子どもを連れて参加してきました。 7月現在はできることが増えて、電車に乗って出かけたり、外で遊んだりできています。子どもの小学校は9月に始まることだけは決まっていますが、登校できるのか、オンラインになるかはまだ分かりません。 また、メキシコで作家として多くのものを得てきた者として、例の国境の壁の計画には関心を寄せています。現在150億ドルを投じて、予定の10%程度しかできあがっていないとか。政府が作る壁以外にも、有志が寄付を募って作っている壁もあるそうで、なかなか衝撃です。 今は、壁や移民をテーマにした作品の制作を続けているのですが、コロナもいずれ作品のテーマになるかもしれません。性格的にゆっくりなので、少し先になると思いますが。 この夏、町田市立国際版画美術館の企画展「インプリントまちだ展2020すむひと⇔くるひと ―「アーティスト」がみた町田―」に作品を出展しています。私は日本に行けないのですが、9月13日までの予定なので、よければ足を運んでみてください。ロックダウン中も、生活に不可欠な買い物や、軽い運動はOK。スーパーでは、従業員の感染を防止するために、マイバッグを使う人は、買ったものを店外で詰めるシステムに。近所の公園で行われていた、「Black Lives Matter」運動のプロテスト(抗議)集会風景。ほとんどが若い人で、黒人以外の参加者もかなり多い。9

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