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8> 2月28日みんなが大切にしていた「合唱」の危機 自由の森学園の音楽の授業は、基本的にずっと合唱。「自分の声」という楽器と向き合い、他者と声を重ねる時間を大切にしています。授業を離れたところでも歌が身近にあり、多くの行事で合唱の機会があります(体育祭でもなぜか最後は合唱です)。そして、卒業式の合唱もまた、たくさんの人に愛されている時間でした。 しかし新型コロナ事情を考えると、大勢で集まって何曲も歌うなんてもちろんアウト。この時点で詳細は決まっていませんでしたが、現実的に歌えて数曲がいいところです。岡本さんも、「合唱ができないかもしれないという状況は、大きなショックだった」と振り返ります。 岡本さんに限らず、「卒業式で合唱しなかったら、みんなで合唱することは、もうこの先ないんじゃないか」という喪失感とも焦燥感ともつかないような思いは、多くの生徒に共通するものだったに違いありません。> 2月28日放課後自然発生的に始まった高3合唱。しかし—— その日の放課後、高3の1人が音楽室で残念そうに3年間歌ってきた曲をピアノで順に奏でていました。すると、何人かの生徒が引き寄せられるように音楽室いつもの「卒業」をつくれない——。さまざまな想いが交錯する2月28日に集まって歌いはじめたのです。その輪はまたたく間に広がり、校内にいた高3の多くが足を運んだといいます。 高3の歌声は、換気のために開け放たれていた窓から校内に響き渡り、在校生の耳にも広く届いたとか。「男子も女子も、ほとんどの人が泣きながら歌っていて、なんというか他に体験したことのないような神秘的な空間でした」(岡本さん)、「僕もいつもより全身全霊を込めて、声をからして歌いました。参加してよかったと思える幸せな空間だった」(阿部大地さん)。その中には、いてもたってもいられずに足を運んだ教員の姿もありました。 岡本さんが「あの合唱が救いになったし、卒業に向けて一歩を踏み出せた」と言うように、その場にいた多くの卒業生にとって、他に代えることのできない豊かな時間となった合唱の時間。しかし、誰もがその感動を共有したかというと、そうではありませんでした。「そんな合唱はやるべきではなかった」そう声をあげたのは、高3の由比大地さんです。「自由の森の良くないところが出た」 「僕も合唱は大好きだけど、合唱が感染リスクが高いことを話し合ったその日の放課後です。何のための学習発表会の中止か。卒業式の縮小か。僕たち高校生は重症化するリスクは低い様だけど、誰かに感染させて殺してしまう危険性があるという話もしたはず」と由比さんは指摘します。 「教員を含め、誰もそれを指摘する人がいなかった。僕も止められなかった。それについては、問題だと考えないといけない。率直に言って自由の森の良くないところが出たと思う」。由比さんは、そんな内容をクラスのLINEグループに送り、賛否さまざまな意見と共にグループ外にも拡散。やがてSNSで終わらせる話ではないと、由比さんは新井校長にメールを送ったと言います。 由比さんの指摘を受け、新井校長は「生徒たちの合唱を見ながら止めることのなかった学校側の甘さ」について率直に認めました。その上で由比さんは「自分も合唱はしたいが、高いリスクがあることを考えると気持ちよく歌えない」と話し、新井校長も「恐怖を感じながら歌う人がひとりでもいるのなら、それは自由の森が目指す合唱にはならない」と、卒業式での合唱は最大限の感染回避への配慮の中、最小限に留めて進める方向で検討することを伝えました。> 3月2日多くの意見交換の後卒業のカタチが確定 合唱のほかにもうひとつ教員に寄せられた意見がありました。それは、卒業式実行委員会の委員長、柴田真凜さんからのメッセージでした。昨年度の学習発表会の様子。公演やポスターセッション、展示など、さまざまな形で、1年間学んできたものを互いに発表し見つめ、語り合う会。今年は中止になったものの、一部の展示やポスターセッションなどは、卒業式の午前中に公開されることとなった。

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