morinoat_23
14/16

14ん、妻と2人の息子とずっと一緒にいられることが嬉しい。子どもが帰ってきた時にいてあげられて、家族で「今日これがあった、あれがあった」と話をしながら一緒に晩ごはんが食べられる今の生活は、なかなか気に入っています。 とはいえ、仕事をしている時間に、子どもが何人も友だちを連れてきて騒ぎ出すと少し困ることもありますし、言うことを聞かないと思わず大きな声で怒ってしまうことも。自分が周囲の大人たちにのびのびと育ててもらったように、息子たちも同じ様に育ててあげたいと妻とも話しているのですが、いざ保護者の側に立ってみるとなかなか難しい。気づけば、ピリピリして余白を与えられない大人になっている自分がそこに……。 今は、子どもたちに日々勉強させてもらっているように思っています。余白のある時間を過ごした意味 「弁護士よりは受かりやすいだろう」と、どこか甘さがあるまま始めた司法書士の勉強。もちろん大変な訳ですよ。司法書士試験は1年に1回っきり。当時は、「これに受からないと俺の居場所はどこにもない、人生の終わりだ」くらい思いつめていました。とはいえ、頑張ればすんなりといく訳でもなく、合格するのに4年かかりました。その後、見習い期間を経て独立。現在は、「高田司法書士事務所」として、不動産登記に関する業務を中心に活動しています。 受験勉強に取り組んだ3年間を振り返ると「あの時は、よくあんなハードな受験勉強ができたな」と感じています。当初どれだけ大変なことか具体的に考えず、ひとまず気持ちで走りだしたのがむしろ良かったかな、とも思いますし、なんといっても、自分で選択したことに必要な学びだったというのが大きいです。 若い頃に、親や教師から「勉強しなさい」とか「アレをしちゃダメ」「これをしろ」と追い込まれる様な生活をしていたら、膨大な勉強が必要な司法書士にはならなかったのでしょうね。自分の性格を考えると「もう勉強なんてこりごりだ」と考えていたはず。 そういう思いが強いので、自由の森で過ごした高校生の頃を振り返ると、「こんなに素晴らしかった!」と、熱っぽくいろいろ語るという感じではなくて、なにかに常に迫られることなく、興味に身を委ねる余白のある時間を過ごせたということそのものが、僕にとってとても貴重だった。それは、それだけで価値のあるものだったなと思っています。家族と一緒にいる時間を大切に 現在自宅に仕事部屋を設けて、自宅兼事務所という形で仕事をしています。自分のペースで仕事ができることはもちろ若い頃に「勉強しなさい」とか「アレをしちゃダメ」「これをしろ」と追い込まれていたら「もう勉強なんてこりごりだ」と考えていたはずリビングから少し離れたところにある仕事部屋。司法書士「っぽくない」、立派な一枚板の机の上には、たくさんの法的手続き用の書類が。

元のページ  ../index.html#14

このブックを見る