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02 本書は、32年前のチェルノブイリ原発事故に直面し「これは一体何だったのか、どんな救済が可能なのか」と、忘却させようとする勢力に抗い紡ぎ出してきたかの地の人々の言葉と行動に耳目を傾け、福島第一原発事故後7年の「いま」、今なお、原発事故被害を受け止める言葉も制度も徹底的に不十分な日本の現状に抗して、被害と救済の具体を表現する私達自身の言葉の獲得を目指す書である。 両者の比較で目から鱗の指摘が幾つもある。例えば、私達が疑いもなく使う「復興」「風評被害」という言葉をかの地の人は使わず、チェルノブイリ法では「事故」という言葉を「カタストロフィ(突然の大変動、破滅の意味)」と変えている。なぜか? 特に、かの地の教育現場での継承と「放射線」を語れない日本の教室の対比は痛烈だ。 最後に、私は、本書と既刊書、また、本誌14号掲載の講演録に刻まれる著者=9期生・尾松亮氏の、この問題に取り組む「持続する志と真摯な姿勢」に、心からの敬意を表する。9チェルノブイリという経験フクシマに何を問うのか著者:尾松 亮出版社:岩波書店発売日:2018年2月22日価格:1,944円(税込)星の数ほどの「今」が同の中に息づいている現代。2つの視点で切り取ったレビュアーは自由の森学 を 1冊。 (自由の森学園図書館司書)キレイな言葉が覆い隠すものに抗う

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