morinoat_019
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自由の森の寮は、生徒たちの自治によってつくる共同生活の場。思えばここで人との関わり合いの中にある必要なことを学んだように思います。 たとえばみんなで決めたことができていない仲間がいたときに、「こうしなさい」と押しつけるのではなく、なぜ寮でそういう決まりごとがあるのか、その本質を知ってもらうことを大切にする話し合う場でした。この文化は「なんで?」にこだわる私に合っていました。 「上の世代の人たちがやっていたから」というナンセンスな踏襲をせずに、自分たちで考える。それは今のお坊さんの仕事も同じだと思っています。このお経は、なんのために読むのか。この所作には、一体どんな想いが込められているのか。副住職として研究者として 東京の亀戸にある東覺寺というお寺で副住職をしています。一方で智山伝法院という仏教の研究機関で研究員もしています。分かりやすく言うと、仏教の思想について現代に伝えるための研究です。私のお寺も所属する真言宗智山派で拝んでいるお経の解釈や作法について、これまでの歴史と思想を紐解いて、これからのお坊さんのための解説書をつくることなどが主な仕事です。 研究のコンセプトは、「伝統の創造」。伝統を継承していく思いをもとに、宗派が積み重ねてきた伝統をどう捉え、今の時代に生きる私たちがどのように次の代に継承していくか考える試みです。なんで? をどこまでも大切に 中学校から、地元を離れて自由の森学園の寮で生活することを選びました。どこか地元に対して後ろめたさのようなものがありましたね。私は下町の寺の息子なので、子どもながらに地域の中にあるつながりを大切に生きてきた感覚があったのです。でも、それでも行ってみたいと感じた学校でした。 小学校当時、友達はたくさんいましたが、学校でうまくやっているタイプではありませんでした。「決まりごとはとやかく言わず守れ」と指示をされることが本当に理解できず、自分が納得できないと前に進めなかった。小さい頃に誰もが通る「なんで?」っていう時期が長かったんですね。もっとも、今でも実はあまり変わっていないのかもしれません。それが、いま私が研究活動に従事していることにつながっているのだと思います。伝えることは考えること 中高当時のことを思い返すと、寮での関わり合いが一番印象に残っています。小宮 俊海 さんしゅん かい こ    み や「良いことだから古くからある。では、それはどこが良いの?」と自分で考えることを大切にしたいをもりのあと を歩く を3 114生期3大学院の修士課程在学中、インドを訪れた時の1枚。1カ月かけて、単独でインドの仏跡巡礼に励んだとのこと。

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