![]() 第18期生 篠原 大我 さん |
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当時在学中の篠原大我さんから、自分のことや自由の森についてなど、お話ししてもらいました。
大我くんは中学から6年間自森で学んできたわけですけど、自森で学んだことってどんなこと?
今までは、「学ぶ」っていうことがぜんぜんイメージできなかったんです。イメージできなかったというか、自森に来てより具体的にわかったという方がいいのかもしれません。もし以前の僕だったら具体的に「学ぶ」ということについて話をすることができなかったと思うんです。だけど、このごろになって具体的に話せるように、また、話したくなってきたように思います。
「学ぶ」ということを「自分の言葉」で言い表すのはとても大変なことだね。
僕のいまの理解では、「学ぶ」というのは「知識と体験を統合したもの」だと言えると思います。「体験」から発見や疑問を追究したい気持ちが生まれて、「知識」を要求していく…その繰り返しが「学ぶ」ということなのではないしょうか。
自森には、こういう「知」と「体」が統合された「学ぶ」環境があると思う。 例えば、ぜんぜん違うと思って学んでいたことが、「自分の中でつながる」んです。
夏休み明けの数学の授業で、遠山啓さんのデカルトに対する書評というのを扱ったんです。そこで「デカルトの4つの研究方法」を読んだのですが、あるとき、まさに僕にとっての「学び」を実感させる出来事になったんです。デカルトの4つの研究方法とは、
「1・すべてを疑ってかかること。
2・すべての事例を分析すること。
3・2を順序立ててつなげていくこと。
4・3を見直すこと。」でした。
このことがある授業でつながって来て驚いたんです。
数学とつながった授業っていうのは何だったの?
それは「中国講座(選択授業)」です。僕にとってちょっとしたターニングポイントだったのが中国講座だったって言ってもいいぐらいです。
数学と中国講座がどんなふうにつながったの?
中国講座では、歴史も現在のことも両方扱ってるでしょう。僕は「歴史」をとらえることが、今まではできていなかったって中国講座で気が付いたんです。いえ、頭ではわかっていても、心で理解ができていなかったってことなんです。「歴史」はなにが起きたかだけが大事ではなくて、「人が生きてきた」ってことが大切なんですよね。中国に行って、実際に歴史の現場に行って、その歴史の体験者の話を聞いて、そのことがすごくよくわかりました。中国語はわからなくても、その人本人からの言葉、言葉の響きでわかる歴史ってある。
それで数学で学んだこととつながったのは、ここから。中国から帰ってきて感想をまとめているとき、ふと頭の中でつながってきたんです。「人が息づいていた」っていう「微分」と年表としての「積分」て。歴史の本質を理解するためにもこの2つの要素がとても大切だと思った。数学だったはずが歴史の理解を整理する新たな視点になったでしょ?こういうふうに自然に考えられたのって不思議だけど、驚きで、なんだか嬉しかったんです。
自分の中でつながっていくっていう喜びって大きいよね。一方では卒業も近づいているね。大我くんはいまはどういうことを考えているのかな?
法律の道。人間行動の原理や原則を自分の盾として権利を訴える根拠となるのが法律。小さい時からお父さんが立場の強い人に法で訴える活動をしてるのを見てきた僕なんだけど、学生の主体性が強い自森に来ていろいろな人に出会いながら学んでいく中、弱者を守る、マイノリティの力をマジョリティにはたらきかけていくことをしてみたくなってきました。だから、法を盾にしながら、マイノリティの力を反映させられる仕事をしていきたいって思ってるんです。
でも将来は教師になりたいと思っています(笑)。自森の教員と話すことを大切にしてきた僕だけど、ほんとに魅力的なひとが多くてあこがれてきたんですね。大学は法学部へ進みたいと思っていますけど、自分が学んできた自森での学びを生かして生徒に平和を伝えていきたいです。
最後になりますが、いま在学する生徒のみんな、そしてこれから入ってくる後輩に伝えたいことって何かな?
知識と体験をバランスよく学んでいってほしいということ。自森にはそういう授業、機会がたくさんあります。それらをうまく活用しながらたくさんのことが身についていく場所だと思います。
忙しい時期にインタビューに応じてくれてどうもありがとうございました。
2004.12.8
インタビュアー・文:情報科 村田 諭美